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坂本龍馬のジレンマ

 幕末マニアであれば、確実に抱かれるであろう「坂本龍馬のジレンマ」。

 坂本龍馬は坂崎紫瀾や勝海舟、司馬遼太郎らによってイメージが誇大化しており、実は大した人物ではないという評価がもはや通説になりつつある。

 自身も、小学生の頃に「お〜い!竜馬」を、中学生の頃には「竜馬がゆく」を読み、少なからず英雄としての龍馬に感化された経験がある。

 しかし、今では「英雄」としての龍馬のイメージは消え去り、「優秀な商人」としての龍馬のイメージが先行している。

 龍馬を陰謀の黒幕(フィクサー)や死の商人として捉える人も少なくなく、非常にグレーゾーンとして語られることも多い。

 多くの偉人にも共通しているが、龍馬の謎は底が知れない。「歴史は真実ではないが、真実は歴史の中に隠されている」という姿勢で歴史は紐解くべきで、仮定を軸に何かを得ることができるのが歴史の醍醐味だろう。


『坂本龍馬の戦略思考〜坂本龍馬はマーケティングの天才だった〜』という書籍を読む。

 龍馬を経営者としての側面から読み解こうとしており、「竜馬がゆく」を基に記している点で資料としての信頼性は薄いが、かなり興味深い内容であった。

 龍馬は今でいう株式会社のような形態で「亀山社中」を創設し、事業に着手した。その過程で、長州藩の支出でイギリス商人のグラバーからユニオン号という汽船を購入したり、福井藩の松平春嶽から5000両の出資を受けたりしており、かなり精力的に活動していることがわかる。

 龍馬は動乱の幕末期において勝海舟や薩長の後ろ盾を得つつ、東奔西走し、各地で営業活動を行なっていた。

 当時の国家単位はあくまで「藩」出会ったのに対し、龍馬は「日本」を西洋列強に耐え得る国家として新体制を築くビジョンを提示したという。(日本という概念は会沢正志斎の「新論」で述べられた国体の理論が志士の間で浸透しつつあった)

 龍馬がマーケティングで優れていた点として、単なるアイデアではなく「ビジネス目標」を顧客に提示していたことが挙げられる。

 龍馬がなぜ薩長同盟の立会人となれたのか?

 本書では、そこに龍馬のマーケティングの才を見出している。

 薩長同盟は決して龍馬のアイデアではない。当時の薩長同盟の考えを持っていた人たちは倒幕の足がかりとして提案する者が多く、龍馬の考え方とは少し異なっていたと言える。

 倒幕はあくまでアイデアの域を出ず、ビジネス目標としては不十分であった。上でも述べたように、龍馬は薩長同盟を新体制の日本を築く第一歩として提案したことが他者から一歩抜きん出た要因であった。

 顧客を納得させる手段としてマーケティングミックスが用いられる。

 マーケティングミックスとは、製品(Product)、価格(Price)、流通(Place)およびプロモーション(Promotion)の4Pを軸に戦略を練る手法である。

 龍馬は商家の出であることからマーケティングの考え方が自然と身に付いていたのではないか。マーケティングミックスをうまく用いて新しい概念を顧客に提示できたと本書では推察している。

 

 以上、確かに龍馬の英雄像は誇大ではあるが、商人としての才は評価に値すると言える。龍馬に学ぶべきは、現存している手紙の類からも読み解ける裏での根回し力であり、アイデア至上主義に陥ってしまう組織に対して訓示を与えてくれているように感じる。

 

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