コーチングを学ぶメリットとデメリット~デメリット編その2~
こんばんは!
さて、前回に続きデメリット編のその2『コーチングがコミュニケーションのテクニックだと謳っている』について書いていきたいと思います。
このコーチングがコミュニケーションのテクニックによるものであるというのは、全てが間違いというわけではありません。
コーチングとは言わば対人のプロフェッショナルであることを、コーチングを学ぶメリット編で書きました。
対人のプロフェッショナル、つまりコミュニケーションの達人になれるとも言えるでしょう。
しかし、コーチングをただのコミュニケーションのテクニックという狭いくくりの中で考えてしまい、それがすべてであるように謳っているコーチングの講座などがあったとすれば、気をつける必要があります。
なぜ、そこまで気をつける必要があるのかと言えば、コーチングを正しく理解しないまま「コーチングとはこういうものだ」と認識したとします。
人は何かを「こうだ!」と思った場合に、それ以外の情報については、よほど何か引っかかるものがある、もしくは権威ある人物による情報ではない場合、スルーしてしまうことがあるからです。
つまり、自分の中のコーチングの重要性が、コミュニケーションの為のテクニックというもので一時的にでも固定されてしまうと、それ以外の情報が正しくないと判断されてしまい、入ってこなくなるのです。
これは、コミュニケーションのテクニックとしてコーチングを学んだ時により深く納得して習得すればするほど、この思い込みが強くなります。
私が学ぶコーチングでは、こうした情動を伴った記憶により、それ以外の情報が入らなくなってしまう状態をスコトーマ(盲点)と呼びます。
簡単な例で言えば、テレビショッピングでカメラを買ったとします。値段も安いし、SDカードも付くし、三脚や、テレビで見るためのケーブル、付属の充電池がもう一つ!なんて言われて買って満足していたとします。
実際は型落ちしたカメラでSDカードは使っても充電池は一個で十分。三脚を使って撮影することも無かった場合、カメラとSDカードだけなら新しいモデルを買った方が使いやすいし充電も持つし、と言った感じで無駄なものを買わずに済むことができます。
しかし、一度テレビショッピングの買い物が良いものだと実感すると、それ以降のカメラや家電製品などを買う時も、テレビショッピングで購入をして無駄な買い物をすることに気がつくことができなくなってしまいます。
使わない付属品が付いてきても、もしかしたら使うかもという謎の理論により無理やりにでも、テレビショッピングで買ったことを正当化させようとします。
もう一つ最近の例で言えば、日大アメフトのタックル問題での、日大側のあり方も自己保身という重要性により、実名で会見した選手の気持ちなどがスコトーマになっていて、本来あるべき教育者としての姿が見えてきません。
更に言えば、単純な思い込みという点で言えば、日本のテレビや新聞の報道をあまり批判的に捉えずに目の当たりにしている現代も、正しい情報や本当に報道すべき問題が何か?という点がスコトーマになっていると私は思います。
こうしたスコトーマを外すには抽象度を上げて思考することがポイントになります。
抽象度とは、文字通り抽象した事象の度合いを言うのですが、簡単に言えば犬と猫の上の抽象度は哺乳類、動物、ペットという感じです。
つまり、コミュニケーションのテクニックであるコーチングと私が学ぶコーチングもどちらもコーチングです。
但し、コミュニケーションのテクニックはコーチングの中に包摂された概念です。
コミュニケーションのテクニックと同じ抽象度として、ゴール設定や、セルフトークの観察、セルフイメージの観察、アファメーションという具体的な方法が横に並んでいるイメージです。
テクニックなどの具体的な方法よりも更に抽象度を上げることで、「コーチングはコミュニケーションのテクニックだけじゃないんだ」という事が分かる可能性が高くなります。
最初からコーチングがコミュニケーションのテクニックだけではないと知っておく事ができれば、問題ないんですけどね。
次回は、『学ぶ対象が(経営層など)一部の人にのみ有効だと謳っている』という点で、コーチングを学ぶデメリットについて解説します。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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