明日死ぬと思って生きると、
「一日遅かったら死んでいたかもしれません」と安いテレビドラマのようなことを言われて即内視鏡による施術を受け、そのまま入院し、あれよあれよと内臓をひとつ取られてしまった。
総胆管結石というやつだった。
胆のうをとってしまえば基本的に再発しないとのことだったが、手術から三ヶ月弱、すでに背痛が出ている。結石の痛みではないと言い聞かせて暮らしているが実際のところは分からない。
そもそも、十年ほど前から「自分は三十歳になるかならぬかというところで死ぬのだ」という予感があった。
だから背中に得も言われぬ痛みが走ったときも「やっぱり」としか思わなかった。
今年の三月から同棲している彼女が私を無理やりに病院へ連れて行こうとしなければ、私は自宅で死んでいただろう。
ポジティブであることを他人に強要してくるクズ野郎の書いた本に「明日死ぬと思って生きれば何でもできる」と書いてあった。
私はまさしく「明日死ぬと思って」生きていたはずだが、何もできなかったし、少しだけ寿命が伸びた現在も何もできずにいる。
もうすぐ死ぬと分かっていたら、残り僅かな生で何をしたところでどうせ死ぬのだから何をしても無駄だろう。
例の本の著者は「まだこれからもたくさん生きるけど」明日死ぬと思って生きるというごっこ遊びをしているのに過ぎない。
現実は、できる人はでき、できぬ人はできぬというだけだ。
そういうわけで、今日も私は死んだように生きている。
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