【恋は雨上がりのように】全話感想 第8話と雑談 ※ネタバレあり

あきらがどうして店長に恋心を抱くようになったのか、17歳の少女が45歳の冴えない中年に恋をした必然性が描かれる。

怪我のせいで走ることができなくなったあきら。彼女の人生の空模様はまさにどしゃ降りの雨といったところ。

そんな雨のなか、そっと傘を差し出してくれたのが他でもない店長だったのだ。

店長とあきらの出会いのシーンは何度見ても心に沁みるものがある。

店長はそこまで特別なことはしていない。雨宿りをするあきらに、たった一杯のコーヒーを差し出しただけ。ブラックが苦手だと知ると、手品でミルクを添えてあげた。たったそれだけ。

でも、たったそれだけの優しさがその時のあきらにはすごく嬉しくて、キラキラと輝く宝物のように映ったのだ。

ーきっと、すぐやみますよ。ー

コーヒーを飲み終えたころには外の雨はすっかり上がっていて、晴れ間が差してくる。

あきらが夏の美しい青空を見上げたところで、この回は終わる。

結末を知ってからこのシーンを読み返すと、「店長との出会いで、あきらの人生の雨があがっていく」というこの作品が持つ主題が既に暗示されていた、と読むことも出来る。


ここまでが単行本の一巻収録分なんだけど、密度が濃いなぁ笑

登場人物の心情がとても繊細に描かれていて、それは時に「表情」として、時に「天候」や「モノ」にメタファーとして表れる。だから、一コマも読み飛ばすことなんてできない。もし少しでも流し読みをしようものなら、作者が仕掛けてくれた大切なメッセージを見落とすことになってしまうから。読み返す度に新しい発見があり、隠されていたメッセージの純度の高さに、息すらうまくできなくなる。それ程にまでこの漫画は丁寧に、かつ計算されて作られているのだ。

この物語には、中盤頃から「純文学」が大きく関わってくるのだけれども、この作品と向き合う時に求められる姿勢は、まさに純文学を読むときのそれと一緒ではないか。

純文学の作家は、自身の織りなす一字一句に文字通り命をかける。「てにをは」をどうすべきか。はたまた句読点を置く位置は。そのたった一文字が与える印象が物語全体の完成度に影響を与えてしまう。だからこそ文体と作品は不可分であるし、読み手にも「一文字も読み落とすまい」という誠実さが求められる。

「恋は雨上がりのように」という作品は、「漫画」だからこそできる演出効果を最大限に活かしきった傑作なのだ。

事実、恋雨は「漫画」「アニメ」「実写映画」とメディアミックスした作品であるが、どれも結末や受け手に与えるメッセージ性は意図的に変えられているし、その媒体ならではの演出に製作者のこだわりがみられる。それらは、基本的な設定だけを同じくした完全な別作品と言えるのだ。漫画を完全にコピーした別媒体が面白いと思えるのなら、その作品が漫画である理由はどこにあるというのか。恋雨の原作が「漫画であること」に最大限の敬意を表し、独自の路線に舵を切った点でこれらのメディアミックスも日本史上稀にみる大成功と言えるのではないだろうか。

こんなにも真摯に向き合える作品に出会えたことを心から幸せに思う。

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1995年生まれ。 雑多なアウトプットを通じて、深く知る。

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