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『自分でコントロールできないこと』って何だろう?〜諦めとは紙一重〜

1.これは流行ですか?

自分でコントロールできることだけに集中しました

新型コロナウイルスが日本を覆い尽くした時から、この言葉を何度聞いただろう。心理学における今の潮流らしい。

でも、ちょっと立ち止まって考えてほしい。

『コントロールできないこと』ってなんだろう

言い換えれば

『自分でコントロールできること』とはなんだろう

2.だから我慢するんですか?

私がこの言葉に引っかかっているのは、まだ『自分で〜』というワードがメジャー化していない頃から、

相手は変わらない 自分が変われ

という言葉に、どこか矛盾と反発をかんじていたからだ。

上司や先輩のセクハラ、パワハラ、夫や彼氏の暴力、姑の嫁いびり、学校や職場でのイジメ、受動喫煙、等

対人関係で悩む人に対して、必ず上記の言葉を口にする人がいる。全くの間違いではない。しかし、解決にはならない。

自分が変われ、このアドバイスは、被害に苦しむ人の『人格否定』にもつながりかねない。

ここまで書いてみると、『対人関係』については、自分でコントロールできるか否か考える前に、まず第三者に助けを求める事が大切な気がする。

自分でコントロール=自分が我慢

に直結しがちだからだ。特に、対話や討論を苦手とする反面、我慢を美徳としがちな日本人には、『自分でコントロール』というフレーズは、立場の強い人間にとって都合の良い言葉になりがちだ。

3.コントロールできないものはなんですか?どうコントロールしますか?

ここでいう『自分でコントロールできないもの』は狭く捉えた方がいい、と個人的には思っている。

天変地異や今回のような未知のウイルスがこれに当たる。

withコロナというネーミングの是非はともかく、身近にこの未知の生き物が存在することを今更否定した生活はできない。といっても、コントロール不能なのは『存在』そのもの、それだけだ。

感染に気をつけつつ生活して、感染したら療養する。感染の可能性をゼロにできない以上、常識的な感染予防をしている限り、感染した方に責任や落ち度はない。責められる理由はない。

感染予防のため、オリンピックは延期、春夏甲子園は中止、春から夏の各種イベント、コンクール、大会も大部分中止、という決断がくだされた。

決定時点の深刻な感染状況を考えると、この中止、延期の判断はやむを得ない。

問題はこれからだ。感染状況はなんとも微妙な様相を呈している。欧州くらい被害が大きければ問答無用で中止だが、とにかく気をつければ何でもできそうな、でもちょっと油断すると感染しそうな、何事にも、誰も、明確な根拠をもって決断を下せない状況に陥っている。これは来年まで続くだろう。

関東大学ラグビーは開催を決めた。関西は1ヶ月遅れ、学生のコンディショニングが整うかギリギリの綱渡りのような開催を決断した。

反対に、実業団の駅伝など中止を決めた大会もある。

正解はなく、人の判断、による決断だ。

今、新型コロナウイルスの存在そのものはコントロールできないものだ。

しかし、このウイルスと共存して日常の生活を取り戻すのは、一つ一つが自己の決断であって

コントロールできるもの

だ。行動には責任が伴う。難しい判断の連続だが、自分自身で考え抜いて、身近な人に相談を重ねて、関係者が議論を尽くして、大なり小なり全ての決断が下されていく。その決断の集積が、これからの私たちの日常になる。

日本人は同調圧力に弱い。議論が苦手ですぐ一つのわかりやすい結論に飛びつく悪い癖がある。今まではそれでもどうにか暮らせたが、これからは、自分の判断、そしてその判断を助ける周囲のサポート、場合によってはその道のプロの助けが、生きていく上でこれまで以上に大切な要素になる。

大学ラグビーに臨む大学生達、トップリーグ開幕に向けて準備を重ねるラグビー選手達、自分の殻に決して閉じこもらず、周りの助けを遠慮なく借りながら、一つ一つこれからの困難な問題を解決してほしい。もちろん

決断は自分で

万が一結果が悪い方向に転んでも、決断に至る過程をきちんと説明できれば、未来が閉じることはないだろう。

思考と討論を重ねることでコントロール可能になるものはいくらでもある。

簡単に『コントロールできないものは〜』と口にしない方がいい。思考が停止する。





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