あっきい
愚痴~価値観の相違~
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愚痴~価値観の相違~

あっきい

日常に起きる気づきをストレスクリアの効果として
綴っているあっきぃです。

子どもが成人以上になって同じ屋根の下で住むことを
想像してみてもらえますか。

名称は子どもであるけれどそれは私から見たらであるだけで

自分で自分のことを判断でき選んで考えてやれている大人でもある。

22歳以上になり ある程度の価値観が確立している。

親に食べさせてもらっている。
家に住まわせてもらっている。

それはそれで理解しているから感謝の気持ちがある。

生活を共にしている場合
リビング、キッチン、トイレ、お風呂場、玄関の共有部において
その使い方で価値観のぶつかり合いが起きる。

出しっぱなし、食べっぱなし、脱ぎっぱなし
このことがたまらなくイヤな自分。

やりっぱなし星人の息子たち。
きっとこういうこと、気にならないんだろうなあ。
そういう人もいるよね、
洋服カバン持ち物を元に戻さず出しっぱなしのところから
つまみだすことに違和感ない人。

食卓は様々な物たちが乗っかている。
必要そうなもの、食べかす、使いかけの綿棒、重要書類などなど

食事を置くときは、それらをグッと押して
雑多と共存して食べている。
そして、食べてもそのままですぐには片付けない。
全く片付けないというわけではなく数時間たって片付ける。

私は雑然としたなかで食べることがイヤだ。
なので使う周囲だけ片付けて拭いたりする。

食べた後は、すぐ片付ける派である。

「オレ、洗い物をやるから」」という次男。
「お母さんとはタイミングが違うかもだけど俺のタイミングでやるから
それを理解してほしい」
ここは納得した。確かに彼の寝起き時間は私と合うわけもなく
切り取りで見るとシンク内が 山盛りの食器の時と全部終わっているときがある。

「やる」という言葉に嘘はなかった。

明日はリフォーム会社の人が来て話し合いをする日である。

リビングには海外に行った長男の10個の段ボールが積みあがっている。
食卓を囲んでの話し合いという認識はみんなにもある。
動かしてと言っても今は無理という返事が来るだろうから
卓上の各自の持ち物をどこに動かしたというLineを送る。

床や椅子の背にかかっている洋服やカバンたちも動かす。
掃除機をかける。

すっきりしてきた。

食卓に何もないことの清々しさ。

きれいっていいな。
これがずっと続けばいいのに。

出しっぱなし星人にはわからないだろうな。
この解放感。

家族で私だけが感じる心地いい感じ。

家族って血のつながりのある価値観が違う者同士が
ひとつ屋根の下で折り合いをつけて生活をすること
だと私は思う。かなりレアな苦行である。
あり得ない環境に身を置き暮らしている自分。
何だか滑稽である。

どちらの価値観がいいとか悪いとかではない。
親の権利を振りかざして言うことを聞かせることは
子どもの成長と共に とうに手放した。
今や 子どもと私は ほぼ対等である。

私だって母とは価値観が違い
もし同居となったら認め合うしかないだろう。
母が譲れないものは私の本意と異なっても
認めていくだろう。

きれいな環境に身を置きたい。
ピカピカの完璧でなくてもいい。
私は自分の尺度での「きれい」の度合いがある。

これは
息子たちとは異なる。

息子たちは「きれい」よりも大事なものがあるのだ。
もし、雑然に意味があり心地悪くはないとしていたら
それを頭から否定するわけにはいかない。
ただ私の心地よさとは異なる。

ぶつかりたくないから
愚痴を吐く。

大事な自分の価値観を壊されたくないから
相手に最大の譲歩をして
明日の来訪者を迎えるために
最低限の整理と掃除をする。

積みあがった段ボールの上が洋服の置き場になっている。

もはやオブジェとして捉えるしかない。


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3人の息子との14年間にわたる不登校ライフを書くことで自分自身の備忘録になる一方で、同じように苦しんでいる方たちへのエールとなったら ありがたいです。