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ぼやけた日常と、ひとつの物語の終わり。

この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。
世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。
『スティル・ライフ』

ひとつの物語が終わるのだな、と思いました。
正確には昨日の夜深くに。夏はこれからですが、わたしの中で、特別な夜となりました。夏は夜という、清少納言の文節が思い出される。

賑やかな通りから入って、夜、
酔いの回った手で、スマートフォンで写した写真ともいえぬ滲んだ記録。
夏の夜にお酒を飲むのは風情があっていいな。

わたしの人生はいくつかの物語の集合体で、
学生の頃はそれがわかりやすく、入学、クラス替え、卒業で区切られていたけど、
社会に飛び込んで、なおかつ会社という組織にあてがわれてみると、決算だなんだで一年の区切りがついても、
自分の気持ちや日々にはこれといった線引きがなされないので、
白線を引くタイミングがよくわからず、悩んでも、それが終わる頃を思い描けず、このまま孤独に死ぬのかなぁ、と暗いことを考えるばかり。
本を読んで映画を観て、誰かとお酒を飲んで、確かな自分の縁取りを、風船の先を掴むような感覚で、手繰っている。
最近は、そんなシーンの連続で、どうにもつらかったけど。

終焉が近づくと、あぁこの日々もまた、ひとつの物語にすぎず、人生の一章だったのだなと気づけて、
精神に静けさと穏やかさが戻ってきました。海岸にいるみたく。

本が好きで、本に関わる仕事をさせてもらっているので、
お付き合いする方々もその世界の一員で、
出版は、斜陽産業だと云われて久しいからこそ、その内に居るのは、多種の意味を含みながらも書籍を愛する人間ばかり。
だから、わたしは今、とても楽です。
つらいのだけど、苦しいことが多くて忘れがちなのだけど、
わたしもまた、本を通して、救われたので、
いやだなぁと思ったって、その活動の先に一冊の本があるのだと考えれば、やっぱり夢みたいです。

稚拙な己を認めてくれる人に囲まれて、どんなかたちでも愛されているみたいで、
でも周囲の声を本当だと信じるには、わたしの自己に対する信頼が及ばず、そのせいで誰かを落ち込ませたり、失望させる。
謝って、わたしの気持ちだけはわかってもらえるように尽くしてみるけれど、相手からのプラスの思いを、素直に受け取ることのできる日は、はたして来るのかな。

こうして文字にして、手放すことを繰り返す。
葬送するよりは、昇華させたいです。
やりたいことを確かに実現させる力を欲している。
好きが溢れて手が震える日。覚えておけますように。

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