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毎日投稿をする理由が分からなくなり、ぼくは過去を見る 2021/11/2の日記

 日記を書き始めて3カ月になった。そんなに続けているのか。実感も湧かず、月日だけが降り積もっているようで妙な感じがする。ここ最近は、日記が習慣化してきたようで、めんどくさいという感情は基本的にない。ただ、これで良いのか?という自己懐疑に陥っているようだ。

 noteを描いていると、どうしても読み手のアクションが気になってしまう。これはほぼ万人のクリエイターが抱えている悩みであり、僕もその例に漏れない。

 そもそも、日記とは誰かに向けて描くというよりも常に「現在」を生きる「自己」に向けて描くものではないのだろうか。読み手のアクションを気にして、やる気が削がれてしまうのは、何かが間違っている気がする。

 最も良いのは、自分のために描いて多くの人に面白いと思ってもらえること。この9カ月、それを目指して描いてきたけれど、なかなかうまく行かない。

僕は舵をどこに切っていくべきなのか。

 その決断に迫られているように感じる今日この頃だ。

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 振り返ってみれば、noteを始めた理由は何だったのだろうか。

ああ、そうだった。僕は書くことが好きだった。だから、この日記を始めたのだった。いま読めば鳥肌が立つような長文タイトルの投稿に込められている理念は、「書くことへの愛」みたいなモノだけだった。

 自分の胸に手を当てて、いま書くことが好きか、こうしていることが好きか、自問する。答えは案外はっきりと聞こえる。僕は今でも書くことが好きなんだ。それならば、何よりも優先すべきは「自分のため」という側面であり、他者のアクションは二の次であるべきだ。いや、もちろんそうすることが難しいのは分かっている。でも、それが理由で毎日投稿を辞めてしまうのはもったいない気がする。

 ぼくが毎日投稿を辞めるとき、それは書くことが自分のためにならなくなった時、すなわり書くことが楽しいと思えなくなった時だ。もうしばらく、続けられそうだ。ここまで読んでくださった片手で数えられるほどの人たち、もう数日ほどお付き合いください…m(__)m



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