「時」の概念がない喫茶店⑦(1057文字)
モカの話し方はやけに大人びていた。
話せば話した分だけ成長しているようだ。
「それで、僕はどんなことを言ったんだい?」
「ただ一言、『僕はいま、どこにいるんだろう?』と。そう尋ねられた私はその時、『ここにいるじゃない』としか答えられなかった。もしかしたら、答えはここのことだったのかもしれないね」
『僕』が僕を探している。
全く筋の通らないことだが、僕と違う僕がどこかにいるというモカの話し方から考えれば、あり得なくもない話だ。
おかしな点を挙げるとすれば、僕は『僕』を探していないということだ。ということは、僕を求めているのは『僕』だけということになる。それは何を意味するのだろう。
モカは考える間を与えてくれたかのように、少しの間をおいて再び口を開いた。
「その言葉を聞いた日から、君は来なくなった。私は毎日君に会おうと試みたけれど、無駄足だった」
「それはなんだか申し訳ないことをしたね」
モカはにやりと笑って「そんな、謝って欲しいわけじゃないよ」と言った。
「ただね、私の世界では君に出会ってから明らかにおかしなことが起こり始めている。今日、私がここに迷い込んだこともそう。今の私が記憶をなくしていることもそう。何か、私の世界のバランスが君によって壊されているような気がするの。決して、君のことを非難したいわけではなくて、これはただの事実だと思うわけ」
「どうすれば、君の世界のバランスが元通りになるのだろう?」
モカは腕を組んで少し唸ってから言った。
「私は、君と『君』が出会うことが一つの手段であると思う」
「どうすれば、僕は『僕』に会えるのだろう」
モカは再びニヤリと笑って、「それが分かれば苦労しないよ」と言った。
老人はコーヒーの豆を挽いていた。その音が心地よいテンポで店内に響いている。老人はまたすっかり黙り込んでしまった。彼はいま、子どもを慈しむような眼差しで丁寧にコーヒー豆を挽いていた。この僕の心の声も、今はきっと気づかないだろう。
「もしかしたら、私がここに来たのはこれを伝えるためだったのかな」
そうかもしれない。
ただ、老人は僕に「手伝い」をして欲しいと僕に言ったんだ。これは果たしてこの世界の僕にとって正しい行いなのだろうか。
「『正しさ』を決めるのはあなたではありません」
老人が豆を挽いていた手を止めて言った。
「ただ、あなたが今、『手伝い』をしているということは保証しましょう。あなたと話したおかげでモカさんはここから去ることができたのですから」
ふと、モカの方に視線を向けると彼女の存在が消え去っていることに気付いた。
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