吉田松陰先生
久々の投稿である。
ふと、ある方のInstagramから吉田松陰先生の言葉が掲載されており、気になったことから吉田松陰を知りたくなった。
もちろん学生時代に歴史の授業で習った記憶があるが、具体的な人間像が浮かんでこない。
近くに吉田松陰先生を祀る神社があるにもかかわらず一度もお参りをしたことがなく、
そんなことではお膝元の世田谷区で事業をする資格がない・・・と、
ふと思い、御参りに行ってきた。
なかなかの昭和の香りがする商店街である。
長州藩(現在の山口県)の武士の家系に生まれる。
志を育てる個人教育に心血を注いだ。
幕末に来航したペリーの黒船を見て日本を強い国にするには西洋の技術を学ぶことを痛感する。
開国を迫るアメリカをはじめとする西欧諸国に、弱腰の対応しか出来ない幕府に失望感を募らせることになる。
松陰は、天照大神に始まる万世一系の皇室を重んじ、天皇を中心にした国体こそが、日本のあるべき姿と考えていた。
しだいに尊王攘夷を主張するようになり、討幕を宣言することになる。
松陰が大切にした一語
「至誠にして動かざる者未だ之有らざるなり。」
中国の思想家孟子の言葉であるが、松陰の人生はこの至誠によって貫かれていた。
「至誠」とは、偽りのない心すなわち真心であり、誠は天が人間に与えたもので、人間としての品性である。
真心をもって動かし得ないものはない。と言う意味らしい。
そしてまた「誠」には3つの大義があると。
一、実行(行動しなければ意味がない)
二、専一(一つの事に心を注ぐこと)
三、継続(途中で諦めないこと)
そういう信念に基づいた行動をした結果、何度も牢獄に放り込まれている。
当時も今も、行政府が弱腰なのは変わらないらしい。当時はその行政府である徳川幕府を批判することは、今で言う反社会的勢力と写ってしまう。当然のこと民主主義でない時代なので牢獄行きとなるだろう。
しかし、松陰は、「誠」の精神を貫き通したのである。
自分が牢獄に入れられて死のうとも本望であると。
また、自分を正しくして、天下を正しくしようと思った。そのために懸命に生きて、何の功績もなく死んだとしても、私は悔いることはないとも言っている。
松陰はこの時17歳である。
私は今、迷える54歳。
何ともお恥ずかしい限りである。
感想を述べるほどの見識はない。
ただただ尊い存在を感じるのみである。
松陰は30歳で亡くなったが、その精神は、塾生に引き継がれ、塾生によって倒幕が実現するのである。
塾生には高杉晋作や伊藤博文などがいる。
松陰は多くの言葉を残している。
その中には人として、事業家としても参考になる言葉が多くある。
目先のことに惑わされず、先見の目を持った判断力を養っていきたい。
帰り際ちょうどランチ時、絶対旨いと思わせる蕎麦屋を発見。
先見の目で店に入る。やはり旨かった。
俺の先見の目もまずまずやな!
駅の反対側も散策。
途中、煎餅屋を発見。
目先にとらわれ、限定品を購入する…
参考 吉田松陰 「人を動かす天才」の言葉(三笠書房)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?