塗料の歴史 2(紀元前5000年頃)

■紀元前5000年頃の塗装物

当時の塗装物として今回ピックアップするのは三引遺跡の弁柄が含まれた漆塗りの竪櫛です。

1996年能登半島の七尾市三引町遺跡から6800年前の遺物として発掘されています。

当時はシャーマンの装飾品として使用されて弁柄の赤は生命、再生を表していたとされています。漆の艶により赤の深みはより強く表されていたと思います。

そして、特筆すべきはその膜厚です。

分析では6層が確認されており、2層目までが200〜340μm、残りは各層100μmで合計600〜740μmで現代の膜厚でいうと橋梁用塗装などの重防食塗料以上です。

ここで漆について説明すると漆は樹液ですが構成としては以下のようになります。

・ウルシオール(60〜65%)
・水(25〜30%)
・水溶性多糖類(5〜7%)
・ラッカーゼ酵素(0.1%程度)
・不溶性糖タンパク質(3〜5%)

上記、成分で構成されるエマルション(牛乳の様に水の中に油分が分散されている状態)が漆樹液です。

硬化の機構としては温度20〜25℃、高湿条件(湿度70%程度)で最も良く反応し、ラッカーゼ酵素による酸化重合で樹脂が合成されていきます。

この酸化重合ですが、しばしば現在の塗料でも利用される硬化機構で、厚く塗りすぎると表面だけが硬化し、内部が硬化せずにリフティング(縮み)の不具合を起こします。

その為に薄い膜厚で塗っては塗り重ねを繰り返します。また、漆の指触乾燥時間は数時間から10時間とされている為に740μmまで塗り重ねるには相当な工数であったと想像されます。

顔料の弁柄ですが、鉱物由来の粒子形状の酸化鉄ではなく「パイプ状弁柄」が使用されています。

このパイプ状弁柄は原核生物の真正細菌類が水中の鉄、マンガンの金属イオンを酸化して酸化鉄を生成しエネルギーは得ています。

鉄分の多い沼地などで取れたことから「沼鉄」とも呼ばれています。現在ではコンクリート擁壁の水抜き穴から赤褐色の沈殿物が流れているのを確認出来ます。

この沈殿物を野焼き程度の温度(800℃程度)で酸化鉄が得られます。

この様に塗装の目的は「美観」のままですが(櫛の強度を高める目的を含んでいれば「保護」の目的もある)、顔料を焼成したり、硬化する様な樹脂を使用したり、技術力の向上が確認出来ます。

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