おじいちゃんの話。


2020.12.2 母方の祖父が亡くなりました。

なんかすごく怖くて、
母から悪口ばかり聞いていて、
でも嫌いにはなれなかったおじいちゃん。
あんまり何も覚えていないけど、
可愛がってもらった記憶は微かにあって。

あの時私は、
ちょっとだけ必死だったんだと思う。


祖母も、旦那の愚痴ばかり言っていたらしい。
それも母から聞いた話だけれど。
男尊女卑の亭主関白。
有り体に言えばそんな感じなのだろう。

これは私も何度か聞いている話だが、
祖母的には騙されて結婚したのだと言う。
年齢のサバ読みだったか。
色々と隠していたことがあった訳で、
蓋を開けてみればなんてこと!
みたいな事が多々あったのだと、
祖母は何度も私たちに話す。

でも、祖父が亡くなってから祖母は、
なんだか旦那の良かった話ばかりするらしい。
あんなやんややんや言うてたのに、なぁ!
と母は言うが、
所詮私も又聞きなので何とも言えない。

それで、昨日の話なのだけれど、

うちの父の件で母的驚愕の新事実が発覚した。
私の為にふたりで貯金していた(?)口座から、
かなりの額の使い込みがあったらしい。
尋ねてみれば、
無賃金期に生活費に当てていたと言う。
それもとってもシレッと、当たり前のように。
(父は数年前資格を取る過程で学校に通っており、
その間給料が一切なかったらしい)

働いてないのに生活費くれてありがたいと
思っていた気持ち返せ、とお怒りだった。

私からしてみれば、
最初から貰えるつもりのなかったお金が、
私の知らないうちに貯まって消えただけの話。
損も得もしていないからどうでも良いのだけれど。

それ以外にも、
散々母が父(私の祖父)に頼ることを、
拒否し続けてきたにも関わらず、
どうやら割と最近に貰っていたらしい。
それは私的にも「引くわ」案件だった。

それで、話は祖父の話になる。

母が、
「なんだかんだ、その、可愛がってくれてたから」
と言った。

あーやばい泣くんちゃう?
今私が泣くんちゃう?大丈夫そ?
と思いつつ、
なんやあんたもやんか。なんて笑った。

おばあちゃんより可愛がってくれてたよ。
そりゃおばあちゃんは弟やろ。
みたいな会話をしながらふたり、
「おじいちゃんが居なくてよかったねぇ」
なんて思った。

なんだかんだ心配してくれるから。
私は普通に可愛がってもらってた自覚あるし。
母は「いたら怒られる」とか言うけれど、
きっと悲しんで怒って心配しちゃうから。


そして、ふと、

あー、やっぱあの時ちゃんと話せて良かったな。

なんて思う。

何を話したかなんて微塵も覚えていなくて、
私はだって、怖いと思っていたし、苦手だったし、
そんなまともにサシで話したことないのに、
何を話せば良いのだろう。と思っていたけれど、
それと同じくらい、
今行かなきゃダメだ、後悔する、と思っていた。

病室で、
痛々しいくらい弱ってるおじいちゃんと、
本当に何の話をしたのだろう。
成人式の前撮りの写真を見せたことだけ、
覚えていて、
本番はママの着るんだよって言ったら、
それは見れんやろからなぁみたいなこと言われて、
なんて返せばいいのよって思ってた気がする。

ママの見せてあげたかったかもしれない。

結局コロナで成人式は中止で、
私はあの振袖を着なかったけれど。

ロクに話したこと覚えていないけれど、
これが最後だろうっていう覚悟はあって、
近しい人が亡くなることなんて初めてだったから、
なんだか不思議な、ふわふわした気持ちだった。


お葬式では泣かないって決めていて、
病気ではあったけれど、
なかなかちゃんと老衰って言える年齢だったし、
大往生だと思ってたから。
悲しいことじゃあないって思っていた。

その悲しさの100倍、
自分の父親と会話するのが億劫だった。
なんでこいついるんだろう…
とさえ思っていた。
これはさすがに酷いか。ごめんなさい。
でも無言の10時間弱ドライブをかましたの、
多分この時だと思うんだよな。
10時間は盛っているけれども、
車内二人っきりで無言の10時間弱はきついよ…

でも、
祖母が棺桶に近づく様子を見ていたら少し、
泣きそうになってしまって困った。
やっぱり夫婦なんやなぁって思ったし、
最期に優しくなれるなら、
きっと良い人生だったのだろうと思った。
それでも私はなんとか堪え切った。


あの時会いに行ったのは、
最初で最後だったけれど、
ちゃんとサシでお話したのは、
本当に良かったな、と思っている。
でももっと話しておきたかった気もして、
だから最近は頻繁に祖母の元へ赴いている。
祖母を温泉に連れていきたくて、
免許を取ったようなものなのだけれど、
まだ行けていないのが悔しい。
行けないままな気もしてならない。

ただ、もう何度も乗せていて、
引っ越しの役にも立って、
延々と「あんたの運転は怖い。乗らん」
と言っていた母が乗るきっかけも作ってくれて、
母の信頼を得ることも出来た。
まあ、まずまずの出来だろう。


私の父はあんなんだったけれど、
そういうの一切抜きで、普通に、純粋に、
母が自分の父のことをああやって言ったことが、
すごく、なんだろう。ほっとして。
たぶん、ちょっと嬉しくて。
まあ、いわゆる毒親な面もあったと思うけれど、
それでも私は母が前向きな方が良いから。

後ろ向きばっかでめんどくさいし。


それと、今回の使い込み発覚によって、
母の中から情が失われたらしい。
私の言う「あいつ話通じねえ」が、
より鮮明にちゃんと身をもって感じて頂けて、
そしてまた少し、前に進んでくれて、
良かったなと思う。
素直に私が楽になった。

働かなきゃな。頑張んなきゃな。
って、まあそりゃ大変だけれども、
それでもちょっと前向きなその言葉に、
ほっと一安心したのでした。
っていう話。


ちなみに、祖父は一代でそこそこの財を築いた、
すごく、なんだろ、かっこいい人なんですよ。
しらんけど。


うちの父の会社は倒産したら良いのに〜
父さんだけに。(彼もまた自営の人なので)



あの人金銭感覚おかしいみたいで、
変なとこ節約して変なとこに金使って、
だーれのことも考えなくて笑っちゃう。
そのまま破産してくれ。笑うから。

海外旅行も全額母のお金だったので、
どこに感謝すれば良いのか、
どんどんわからなくなっていく毎日。
とりあえず一旦忘れることにしました。





私が就職出来たら、
母もパート見つけれたら、
そんなに困らなさそうで一安心。
なんなら一人暮らしするよりずっと、
余裕が出来そうです。
いっぱいオタ活できるね!

だから、とにかく、就活がんばるぞ。

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