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カメラを持って出かけたら、こころが晴れた。

執着をほどくのは意外と簡単だと思った。

いつのまにか「ライター」とよばれる機会が増えて、わたし自身もその肩書きを名乗ることがあるけど、「書くことが好きか?」と考えてみたら、そうとは言い切れなくて、「伝えたいことがあるから書く」んだと思った。どう頑張っても「なんでも書く人」にはなれそうにない。それって「ライター」を名乗れるほどの器ではないんじゃないか。

頼まれれば断らずに受けていた案件も「心からやりたくて取り組んでいたか?」と問われると頷けないものもいくつかある。半端な気持ちでお受けするのは相手に失礼だと思うし、自分にも失礼だ。子供みたいな考えって笑われるかもしれないけど、心がときめくことだけをやっていきたい。

いったんリセットするために営業も受注もストップしたら、当たり前だけど、10月末をめどにパタッとひまになった。「ひまになったら、好きなことを書ける!」と思ったけど、時間ができた途端メンタルがやられて、書けなくなった。最初こそ何かしら書きためていたけど、ここ1週間はまったく何も書いていない。浮き沈みが激しすぎて情けない。

先週、「どうせ書けないなら、ちがうことをしよう」と思い立ち、友だちが貸してくれたカメラを持ってでかけた。

「書く」を諦めて「撮る」に集中したら、たった数時間で、うそみたいに気持ちが晴れやかになった。

「恋の傷は恋で癒せない」っていうけど、それに似てる。失恋したとき、新しい出会いで立ち直ろうとしてもうまくいかない。それよりは、趣味や勉強に没頭したり、仕事に邁進しているうちに、恋の執着から脱しているアレ。

書くことだって同じで、こころに余裕がないならいったん離れて、まったくほかの何かをやってみるのも手なんだ。書くことに新鮮さを失い、出口のみえないトンネルをずっと走っている気分でいたけど、抜け道は案外どこにでもある。目線をズラせばみつかる。わたしはなにごとも夢中になると「前しかみえない」から、たまには意識的にスピードをゆるめ、よそ見をして、バランスをとっていきたいと思った。

ずっと書き続けていたいけど、だからって、そればかりになる必要はない。ひとつのことにこだわりすぎず、視野を広げて、やりたいことをどんどんやっていこう。そうすれば、結果的に「書くこと」がもっとステキに思えるはずだから。

そう気づかせてくれたカメラと、カメラを貸してくれた友だちに感謝。

さいごまで読んでくれてありがとう!うれしいです!🌷