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もっと深いところで、他人を理解できたら。【言葉の企画コラムvol.3】

2回目の講義後に書いたコラムを下書きに放置していたので、いい加減アップします。ひと月前に書いたものだから心持ちがずいぶん変わって、読み返すと「暗っ!」って思うところもあるけど、あえてそのままで。


いい企画がつくりたい。悔しさまかせに、そう思った。

「わたしは他人に興味がある」と自己評価をしていたけど、本当のところでは大雑把にしか人のことを見れていなかったんじゃないか。 第二回目の講義で企画書をつくる課題に取り組んで、そのように自問し、情けなくなった。


今回のお題で企画書にダメだしをもらったことは振り返り記事で書いたけど、どうしてこんな企画書になったんだろう?とみなとみらいからの帰り道、考えた。アレコレ思い浮かぶ言い訳をたどると「余計なプライド」が根っこにあった。

企画書をつくる経験は、いままでほとんどしたことがない。今回の講義で「企画書をつくってください」と言われたとき、心の中の第一声は「え!こわ!できるかな!?」だった。なにかにつけて「怖い」と感じる心理は、自分を守りたい気持ちのあらわれじゃないか。

うまくできる自信がないから言い訳がましくなる。ネガティブな気持ちに支配されて、守る。怖がる。距離をとる。そういう自分の浅ましいところ、イヤだなあ。

言葉や企画は、じぶんの鏡。しっかりとうつりこむ情けない自分、どうにかならないか。変わりたい。

余計なプライドは捨て、どんどん外に出て、もっといろんなものを見て触れていかなきゃって思った。じぶん以外の何かや誰かへ。もっと心から興味をもって、手を伸ばそう。



第2回講座の前日、今回の課題対象になっていた「さくらしめじ」の5周年記念ライブをみにいった。チケットはソールドアウト。会場は中高生で埋め尽くされている。制服姿の子もちらほらいる金曜の夜。わたしはその中に混じって、会場のいちばん後ろからライブをみていた。

課題期間中、ずっと、さくらしめじに対して許容できない気持ちがあった。それは、わたしが青春を謳歌できなかったコンプレックスのせいだと思うし、彼らへの嫉妬で、あこがれ。インターネット上でみる彼らが、キラキラとまぶしくて仕方なかった。だけど、ライブをみて印象は変わる。

ステージの上に立っている男の子ふたりは、ただキラキラしているだけじゃなかった。数時間のステージをつくるために、泥くさく努力をかさねる日々の姿がみえる。そのために、ふつうの高校生であることを諦め、人知れず葛藤をしているかもしれないと想像できる。

気に入ってよく聴いていた「ひだりむね」という楽曲。ライブ中、彼らの背景を想像すると、聴こえ方がまったくちがった。高揚して目頭が熱くなる。「ふつうであること」を犠牲にして音楽に向き合う彼らの決心に胸をうたれ、応援したいと思った。

誰かや何かに嫉妬する気持ちなんて邪魔でしかないと痛感する。もっと素直になりたい。染み付いたコンプレックスは拭えないかもしれないけど、そんなものはねのけてしまうくらいの企画をつくりたい。明るくいきたい。ライブをみなければ、こんな風に思うことはきっとなかった。

ライブをみにいった。たったそれだけで、こんなにも前向きになれる。やっぱり、どんどん外にでて、いろんなものを見て触れていきたい。

生身の誰かとやりとりすることでしか感じられない喜怒哀楽の中に、企画づくりのヒントはある。

もっと深いところで他人を知ろうとする。その姿勢をもって人と接することができたとき、わたしのつくる企画は輝きはじめるはずなんだ。

さいごまで読んでくれてありがとう!うれしいです!🌷