「おいしいねえ」は、やっぱり魔法の言葉
「おかあさんの作ったご飯はおいしいねえ」
娘が、米粒を頬っぺたどころか両手につけ、満面の笑顔でいった。
土曜日の、早めのお昼ご飯。さっと作ったものだけど、柔らかい日差しが差し込むダイニングで食べると、ほっとする。
「お父さんは、お母さんよりおいしいご飯作れる?」
おいおい、なんてことを言いだすんだ。
「うーんどうだろう、お母さんの作ったご飯はおいしいからねえ」
百点満点の模範解答みたいな返しをする夫。
なんだこれは。平和なファミリードラマを見てるみたいだ。
「おいしいねえ」と言われるのは、うれしいけれど、なんだかちょっと恥ずかしい。まるで私が、娘に言わせているような気分になる。
*
娘がニコニコ食べていたのは、シーチキンマヨネーズが入ったおにぎりだ。
たいして、夫が昨日作ってくれた料理は、3時間低温調理されたラム肉のロースト。夫は、料理人。どちらの料理技術が高いかは、明白である。
なのに、娘は私の作った料理を「おいしいねえ」という。
私は、彼女が私の作ったおにぎりを喜ぶ理由を知っている。
まず、娘はシーチキンマヨネーズのおにぎりが大好きだ。
つぎに、頻繁に「あのおにぎり作って」とリクエストしてくる。
そして、この日のおにぎりは娘が2週間リクエストし続けたものだ。なぜなら、私がスーパーに行くたびに、ツナ缶を買い忘れていたから。
つまり、娘が食べている料理は、彼女が待ち望んでいたものなのだ。そりゃ、おいしいだろう。
*
くわえて、娘の「おいしいねえ」を私が素直に受け取れないのは理由がある。
私は、自分自身が料理上手だと思ったことがない。
私の中の「料理上手」のイメージは、美しい盛り付けや見せ方ができる人。料理の味をぴしっと決められる人だ。
私の盛り付けは、まったくの自己流で雑である。Twitterに料理写真を投稿するときぐらいは、少しは気を遣う。けれど、美しいというレベルではない。
また、たいがいは適当に味付けをしている。だからいつも味がぶれる。そして、それを許容できてしまうぐらいの味覚レベルの持ち主だ。
夫が料理をするときは、塩分や甘みのバランスをこだわっている。「これがうまい!」みたいなポイントを的確についてくる。
私の場合は、この範囲なら大体OKと許容できる味が広い。そういった意味で、確かな舌を持っていると、おいしい料理に出会うのが難しいといえるのかもしれない。
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自分の料理上手コンプレックスを感じながら、でもちょっと待てよと思った。
そもそも、私の料理への自信をすり減らしたのは、ほかでもない目の前の二人なのだ。
娘は、食べない子だった。離乳食の半分は床に落とし、半分はエプロンのポケットに消えていく。食パン1枚を、ちゃんと食べるなと実感したのは3歳半を過ぎていた。大好きなのは、バナナ、リンゴ、トマト、切ったきゅうり。シンプルな食材が好きな純粋な味覚の持ち主である。
一方で夫は、「料理ができる人のアドバイス」で私の神経を逆なでさせた。「ちょっと塩入れた方がいいんじゃない?」「こうやって切ったら、もっとおいしくなるよ」とか。
それは、完全に善意からのアドバイスだった(たぶん)。私が料理を毎日作るようになったのは、娘を産んでから。毎日仕事でキッチンに立つ彼からすれば、つい口を出したくなるのもわかる。
だけど、乳児を抱えて作った料理にダメ出しされて、いったい誰が喜ぶというのだろう?
料理を口に入れない娘に、善意のダメ出しをしてくる夫。私は自分のことが、とても「料理上手」だなんて思えなくなっていた。
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でもな、と考える。
二人とも、私の料理を「下手」といったこともない。そりゃ、たまに豚のみそ焼きを焦がしてしまうとか、鶏肉の冷製パスタをつくったら火の通りが甘かった(すぐに再加熱した)という致命的な失敗を犯すことはあった。
まあでも、毎日作る料理は、口にできるレベルを保っている。一時期、我が家にフラットメイトという同居人がいたことがあったが、夕飯をごちそうしたときは、かならず「おいしい」と言ってくれた(お世辞もあるかもしれないけれど)。
それに、冷静に考えれば、プロの料理人と比較して「料理上手じゃないし…」と思うほうが馬鹿げている。技術を積み重ねたプロと、レシピの分量すら守らない素人をくらべるなんて、ずいぶん図々しくないか。
娘がご飯を食べない日々は、ずいぶんとこたえたけれど。あれも、料理のレベル云々の前に、子どもの性格や嗜好性、そして胃袋の大きさの問題だ。
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勝手なセルフイメージで料理下手な自分を構築し、「おいしいねえ」の娘の一言を受け止められないのはもったいないのではないか。
そうはいっても、家族で一緒に食卓を囲む時間は限られている。あと10年もすれば、「今日はご飯いらないから」と言われる日も増えるのだろう。
それに、「おいしいねえ」と言ってもらえるのはやっぱりうれしい。娘のニコニコ顔は、なによりの平和な食卓の象徴だ。
我が家の味とか、語り継がれるレシピみたいなのは、ないのだけれど。
家族が何を食べたいのか観察しながら、よーし今日はコレでも作るかと、ぼちぼち料理を楽しんでいきたい。
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