見出し画像

言葉で出会ったひとたちへ #呑みながら書きました

呑み書きの日だ。本当は、この日のために日本と関係するようなお酒を用意しようかなーと思っていたのだけれど、昨日は娘が急な発熱(1日で解熱)。呑み書き後夜祭参加も考えられたため、とくにお酒の準備はしていなかった。

なので、家にあったウイスキーをNZ産のリンゴジュースで割って、呑んでいる。一口飲むごとに、動機がするんだけど大丈夫かなこれ。(そして、今現在、運指は正常にうごく)。

さて。では。12月にはいったことだし、2019年を振り返っちゃったりしようかな。

1年といっても、私にとって今年のはじまりは1月じゃない。4月に、一つのnoteを公開したことが、いまいる時点のスタートだったように思う。

それまでは、noteは不定期更新だった。書いて、月にせいぜい数本。スキも一桁ぐらい。「毎日書いてみたいな」と、ふらっと思いついて、5月1日の令和元年から書き始めて、100日書いた。

ちょこちょこ書いて、「あれっ、なんかnoteっていいな」と感じるのだから、気合をいれて毎日更新したら、なにかミラクルがおこるんじゃないか。具体的には、スキをくれる人が増えて、私のnoteがお仕事につながったりするんじゃないか。

お仕事は、note経由で1件きた。まあ、胸張って「やった!」とは言えない。

とっても大きなことといえば、「あの夏に乾杯」のコンテストで、『8分間のサマー・トレイン』がスイスイさんの新社員証、じゃなかった審査員賞を頂いた。私のなかで、間違いなく、書くことを後押ししてくれた、足元を固めてくれた、そんな出来事だった。

この一つだけで、「2019年、いい年でしたね」って言えるのかもしれない。でも、それと同じくらい、それ以上に、言葉で出会えた人たちがたくさんいて、うれしい年だったなって思ってる。

5月の毎日更新をはじめてから、あ、変わったなと思ったのが、noteを読んでいる人たちとの交流がはじまったことだった。

はじめはコメント欄。相手のnoteをフォローしてみたり。ときにTwitterでシェアして、そのうち、他愛ないことでも絡むようになって。

6月に、こんなnoteを書いた。このときは、本当に画面の向こうにいる人たちと会えるなんて、思ってもみなかった。

noteって不思議。書いて、なにか反応をもらって、それが現実の世界に、自分の行動や頭のなかに、響いてくる。そんなことがある。

娘のことについて書いたnoteにハネサエ.さんからコメントをもらい、娘との関わり方を見つめなおしたり

大きな声でいうことではないけれど、置いておいたら誰か必要な人の目に触れるかもしれない、と、そっと置いた記事をマリナ油森が引用してくれたり。

note仲間でタイトルコンペやったり、通りすがりみたいなタイミングで小説の推敲してくれる人があらわれたり。

この、呑み書きだってそう。

noteをはじめたころ、「友だち」ができるなんて思ってもみなくて。でも、1年たったら(たたずに)友だちになっていて、本当に海を越えて会いにいった。noteを書いていて、もらったものがたくさんある気がする。なんだっけ、こういうの。居場所って言うんだっけ。

楽しい。寄っきた。じゃない、酔ってきた。

色々振り返ろうと思ったけれど、酔った頭で振り返るのに無理がある。だから、マリーナことマリナ油森へのお礼でも書いて終わりにしようかな。

呑み書き企画は、もともと私がTwitterでこげちゃ丸さんと会話してたとき、「ビール飲みながら書いてみたい」の言葉を彼女が拾って、実現したものだった。第1回はマリーナの手腕で、多くの人が参加した企画になった。だって、本当に楽しそうな告知文だったし、みんな楽しんで書いていたもんね。

マリーナは、最初わたしが「憧れの人」って書いてて。文章が好きになったんだって。

もし、彼女がnoteを読むだけで書いていなかったら、一緒に呑み書き企画やったり、日本であったり、彼女が焙煎したコーヒーもらったり、そんなことって怒らなかったと、違う、起こらなかったと思う。

彼女は来年、海外へいくけれど。日本でnoterさんたちとリアルに会う機会も減るだろうけど。海外への引っ越しとか生活が落ち着くまで色々大変だろうけど。

でも、思ってもみなかったような、心躍る新しい出会いは絶対ある、と思う。

それにやっぱり、書いてたら、会えるから。

自分の気持ちを見つめて言葉にした小さなことを、誰かが読んで、笑ってくれたり、そうだねっていってくれる、そんな些細なことが、実はとても大きな意味を持つことがある。


……と、ここまで書いてNZ時間1時(日本時間9時)に撃沈した。

さわやかな朝に目覚め、朝ご飯を作ったあと、自家製フィジョア酒のロックを注入して再びPCに向かっている。ほんとうは、書いたことを見直したり、なんなら酒をいれずに続きをあきたり、違う、書いたりしたいけど、マリーナ店主が「呑みながら書かないやつは追い出すよ!」って言ってるからね。ちゃんと飲んで書いています(真面目)

えーとさ、やっぱり会える距離が遠くなるって、つらいじゃん。10年間海外に住んで、2~3年に1回しか帰国しない私ですら、今回の日本滞在は出国の際にどうしようもない切なさが胸を襲っていた。ああ、そんなに簡単に会えないんだなって。

離れていたら、できないことはたくさんある。

そうでなくても、月日の流れとともに、人の気持ちも、それに伴う関係性も変わっていくもので。当たり前のように私たちは、大人になったら、結婚とか出産とか引っ越しとか、生活が変わるタイミングで疎遠になったりするって、わかっている。

それでも、書き続けていれば。それが、今日のご飯がおいしかったとか、夫婦関係の悩みとか、育児での喜びとか、ただ語りたいだけの偏愛とか、なんでも、それが何であれ。遠くにいる友人が、何を感じ、何を考えているのか、そのカケラを知ることができる。

満ち引きする海のように、出会いや共感にもタイミングがある。燃えるように赤い目に焼き付く夕暮れに、再び巡り合えるとは限らない。それでも。移ろいゆく季節の中で必ず喜びの春が訪れるように、また、鮮やかな瞬間に巡り合うことができるはず。たぶん、きっと。

だから、書いて、出会えてよかったなって思う。仲良くなれて、とてもうれしい。

あと20日ちょっとしか残っていない今年を振り返って、ライターとしての書くについては、全身は、違う前身は、違う、前進は確実にあったけれど、大満足というわけでもない。仕事はもっとしたいし、いまはとても、サマトレを超えるものが書きたいと思っている。

ただ、書くことに関していえば、とても得難いものを得た1年だった。青臭いって誰かに笑われてしまうようなことを、暖かく、楽しく、ときに真摯に受け止めてくれる人がいるこの場が、私にとって、大切なんだってちゃんと言葉にして言う。

この先の道になにが待っているのか。それはわからない。でも、進みたい方向は、いつだって自分で決める。書き続けると声を大にして言わなくても、書くことがこの手にある。

言葉が届く先にいる人の顔を思い浮かべられるなんて、幸せだと、心から思うよ。

さすがの呑み書きだ。今年を振り返ろうと思って書き始めたけど、ちゃんとまとまっている気がしない。あるこる、じゃない、アルコールがはいると、どうにも言語能力が衰退する体質なんです。「好き」を別の言葉におきかえる創造力がちっとも発揮されなくなる。

まあ、なんだ、呑み書きですから。

カウンターに並んで呑み始めて、最初は真面目な話をしていたけれど、酔っ払う内にただただ楽しくなって、雰囲気が心地よくて、同じ話を繰り返したりなんかしちゃったりして、なんだか近い距離で、「へへ、好き」としか言ってないような、そういう文章です。これは。






この記事が参加している募集

noteでよかったこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?