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「躊躇った」を「ちゅうちょった」と読んでいた話

少し前のことになるのだけれど、SNSを眺めていると

「躊躇った」

という文字が飛び込んできた。

「ちゅうちょった」なんて言い方あったかな? と首をひねった。

昨年2月からフリーでライターの仕事をはじめておよそ1年と4ヶ月。日本語の世界にどっぷりとつかるのも久しぶりだ。私が日本を離れてNZで暮らしている間に、新しい言葉が次々と出てきている。

言葉は、生き物だ。

「ちゅうちょった」も、もしかしたら「リア充(りあじゅう)」とか「エモイ」とかと同じような新しい言葉なのかもしれない。

Kindle Unlimitedで眺めていた雑誌に、「女っぽ」という表現が出てきて、誤植かな? と思ってしまった私は、時代の言葉の流れにいまいちついていけないのだろう。

(めずらしい使い方をする人がいるんだな)と、そのときは気に留めなかった。

しばらくして、再び飛び込んでくる「躊躇った」の文字。使っている方を見ると、どうやらご年配の様子。新しい若者言葉をこの方が使うには、なんだか違和感がある。

これを読んでいる賢い方は、もうお気づきだと思う。「躊躇った」は「ちゅうちょった」ではない。

正しい読み方は「ためらった」だ。

「ちゅうちょする」と「ためらう」。どちらも、表記する感じは同じ「躊躇」である。

新しい言葉なんか生まれていなかった。勘違いもいいところだ。なぜ、「ためらった」の一言が浮かばなかったのか。

「なんでみんな、躊躇った(ちゅうちょった)って使うの?」とかツイートしなくて本当によかった。赤っ恥を全日本語世界にむけてさらすところだった。

しかしながら、「ためらう」って手書きの場合は漢字にはしないかもなあと思う。

思春期パワーを爆発させてノートに小説を書きなぐっていた中学生時代は、「ちゅうちょする」や「うれい」を嬉々として漢字で書いた。

文章を書く人のなかではよく知られていることだけど、漢字をひらがなにすることを「ひらく」という。その逆は「とじる」。複数のライターが関与するメディアでは、表記レギュレーションが統一されており、この「ひらく」に指定される単語もたくさんある。

「寝る時」を「寝るとき」と表記するのは、よくある例だ。

「躊躇った」を「ちゅうちょった」と読んだ私の思考力はさておき、PCやスマホ入力が発展した結果、とじる言葉が多くなったのかもしれないと思った。

キーボードを叩けば、書けない言葉でもすぐさまに漢字に変換してくれる。ディバイスを使った入力は、ほおっておけばとじた言葉が増えていく気がする。

以前、大旅そばさんがご家族にお手紙を書くnoteで、「紙にペンで落としていくと、気持ちが文字にのっかっていく」とおっしゃっていた。


それは、思考するスピードと言葉を書き出す速度が一定だからなのかもしれない。

そして、もしかしたら手書きの文章のほうが、私たちは多くの言葉を「ひらく」のかもしれない。そしてひらいた言葉のほうが、私たちが普段「ことば」として感情を込めて認識している文字に近いのかもしれない。

「躊躇った」よりも「ためらった」と書く。

その文章のほうが、書き手がちょっと困っているような思案しているような姿が浮かぶのではないか。

仕事柄、入力のスピードは無視できない。原稿もこのnoteも、キーボードで打ち込む。手書きの昔のほうがよかったねと言う気持ちは一切ないけれど。

久しぶりに言葉を伝えたい遠くにいる友人に、手紙を書くのもいいなと思った。メッセンジャーで思いを飛ばすより、会いたいね、元気かな?って気持ちが、より伝わるような気がちょっとする。


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