見出し画像

いつかどこかで会えたら

友だちが遊びにくる。

これを書いているのは金曜日で、明日やってくる友だちのためにシーツを洗濯したり、いつも適当に掃除している床をふいたりバタバタしている。

私の住んでいる地方は、ニュージーランドの最大都市・オークランドから飛行機で1時間。なんだ、近いじゃんと思うかもしれない。

けれど、この年になるとお友だちはだいたい小さな子どもがいる。飛行機なら1時間、車なら山越えもありの6時間。なかなか、「気軽に」はこれない。

だからこそ、たまに会える日を心待ちにしている。

ものすごく知っているような親しさを感じるけれど、彼女と出会ったのはニュージーランドにやってきてから。私が昔書いていたブログを見た、というのがキッカケだった。

日本人夫婦で永住権を目指している。それだけで、おおきな共通点がある。

同じ都市に住んでいたときでも、会うのは数か月に1回。私が引っ越して離れてからも、1年に1回会う付き合いは続いている。

子どもが寝静まったら、体力の続くかぎりおしゃべりする。毎日の生活のこと、これから先の暮らしのこと。将来、といっても私たちはもう大人だけれど、将来のこと。話題は尽きない。

数えてみると、彼女とじかに会った回数って15回ぐらいだと思う。

友だちになるって、会った回数や時間じゃないのだなとこの年になって知った。私と彼女は、気が合うのだ。そして、私は彼女のことが大好きだ。

ただ、それだけで友だちになれるのだと、もっと前に知りたかったよ。

中学時代は「みんな仲良く」と言われている世界で、そんなの無理じゃんとグループで分裂していた。

陰口に嫌気がさして、高校は学区外の校則なし・時間割は自分で決める単位制の学校に入学した。大学のように、時間割を自分でつくる。クラスはあるけれど、ホームルームは週に1回。

おなじ部活、おなじ趣味、おのずと気の合う友だちで集まり居場所をつくる。

接点が、週に1回の授業で顔を合わせるだけという子がいた。放課後に一緒に遊んだりはしない。授業で隣同士に座ったりして、雑談をするだけ。廊下ですれちがったら、手を振って挨拶する。

バレエを習っていて、おばあちゃんからもらったという本人いわく「古風な名前」がとても似合っていた。

あの頃は、友だちと呼ぶには距離が遠すぎると思っていた。そんなことはなかったのに。もっと、近づいてみればよかった。自分から。

noteを読んでいると、仲良くなりたいなと感じる人に出会う。

ネット越しの友情なんて幻想なのかもしれないけれど、はたして本当にそうだろうか。心からこぼれた言葉を書き留めているnoteなんだから、もしかしたら私たちは、もう友だちかもしれない。

中学校の教室は、実はとてつもなく狭いのだと、卒業してから気がついた。世界はとても広くて、まだ見ぬ友だちが、どこかにいるのだと。

国も越えて、言葉も越えて、肌の色も年齢も性別も関係なく、友達と呼べる人に出会えたら、それはどんなに幸せなことでしょう。

だから、いつかどこかで会えたらと。そう思いながら、今日もnoteを書いている。

いつかお会いしたいですね。ほんとに。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?