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5歳のイヤイヤ期は、母親の支配からの自立の一歩

子どものイヤイヤ期、親はわりとつらい。2歳ごろから始まる自我の芽生えで、なんでも自分でやりたがる時期。食卓のミカンを手渡しただけで、(わたしがとりたかったのにいいい)と「いやー!」が2秒に1回続く日々に、白目と虚無になった親御さんが世の中にたくさんいるはずだ。

我が娘が通り過ぎた2歳のイヤイヤ期は、「なんでもわたしがやりたい期」だった。

そして5歳8か月のいま、「なんにもやりたくない」イヤイヤ期が到来している。

この週末は、娘はイヤイヤのオンパレードだった。とくに日曜日。天気もよいし、公園にでもいこうかと提案すると「いやー!娘ちゃん、お家で遊ぶの」の一点張り。

先週から新学期がはじまったニュージーランド。学校生活でたまった疲れもあるだろう…と、とりあえずほおっておくことにする。

けれど、家で遊び続ける娘がやりたいのは、NetflixでアニメのLEGOを見続けること。Netflixは1話が終わると、自動的に次の話が再生される。時間を区切らなければ、娘は延々とテレビを見続ける。

「娘ちゃん、テレビは1時間までだよ」と声をかけると「いや!」

「娘ちゃん、そろそろテレビ消そうよ」というと「嫌!」

テレビを見ている間はおとなしい。こちらの仕事も進む。できるなら、テレビを見続けさせたいくらいだ。けれど、それが「よくないこと」だと心理的なブレーキをかける。

親が疲れ切っているときとか、ご飯をつくらなきゃいけない時間とか、テレビに子守を頼むことはある。テレビは、我が家では食洗器や乾燥機とならんで子育ての「便利ツール」として、なくてはならない家電製品になっている。

けれど、私自身の娘に対する考えを述べるのであれば、2時間も3時間もぶっつづけでテレビを見させるのは、正直言ってダメだと思う(ほかのご家庭がどうこうという話ではなく)。私が、やりたくない。

テレビを見続ける子ども自身が疲れるし、変なフラストレーションをためる結果になる。楽をした結果が私自身に跳ね返り、「ダメな親だ…」と余計な罪悪感を引きずってしまう。

テレビを消すと、娘は「もう!」と怒り出す。怖い顔をして、ぷるぷると手を震わす。怒っている5歳の娘が怖い、ということはない。ただ、不機嫌をまき散らす存在が家の中にいて、こちらの言葉すべてを攻撃してくるのには、うんざりする。

「お絵描きの画用紙買いに行こうよ」という母の提案をはねのけて、娘はiPadでぬり絵をはじめる。さすが、デジタルネイティブ世代。

お昼になるので、あきらめてごはんの支度をはじめる。「ラーメン食べる?」と聞いたら、「うん!」との返事。今日はじめて、母の提案が却下されなかったのではないか。

昼ごはんはわりと平和だった。娘がラーメンのあと、食パンにマヨネーズをぬって食べていたこと以外は。「食パン、やいたほうがおいしいよ?」というと「嫌!」と。はい、余計なことをいいました。すみません。

娘のやりたいようにさせようと思うのだけれど、半分も残されたマヨネーズつき食パンに、5歳児の見通しの甘さと、1枚を切らなかった5分前の己を恨めしく思う。

ここまでで、読んでいる人も鬱々としてくるはずだ。午前中を終え、夕方まで荒ぶる娘と過ごさなければいけない私の心も鬱々している。

「午後はなにして遊ぼうか?」という問いに、「じゃあ、クッキングしよう!」とはじめて叶いそうな提案をしてくる娘。しかし、娘がやりたいことを聞いてみると「オリジナルのレシピで料理したい」と。

以前、小麦粉に大量の水を加え、さらに砂糖と卵とピンクの着色料を入れて、魔女の食べ物を作り出した娘が脳裏によぎる。おかあさん、あんまり食べ物を粗末にしたくないんだよ。

「クッキーもパンも、まだたくさんあるから料理は今度にしよう?」というと、「いや!」と娘はご立腹。

公園にでも連れ出せば、娘のイライラは収まるのだが、そもそも外に出たくないと主張されるとどうしようもない。「カフェにいこうよ」と食べ物で釣ってみてもダメ。

策はつきた。このイヤイヤを連呼する娘と、今日は家に閉じこもるしかないと思ったそのとき、娘が歌いだした。

「Everything is NO~♪」

これは、替え歌だ。娘のお気に入りの『The Lego Movie』の主題歌。

The Lego Movieは最近2作目が公開された大人も子供も楽しめる映画だ。

1の主題歌は「Everything is Awesome(すべてが最高)」

2の主題歌は「Everything is Not Awesome(すべてが最高なわけじゃない)」

ふたつのテーマソングは、サビのメロディーが一緒だ。映画のストーリーにあわせて、とても素晴らしい歌になっている。

そのメロディーで、イヤイヤ期の娘が「Everything is No(すべてが嫌)」と歌う。どんだけ、嫌なんだ。

歌いだした娘の可愛さと、替え歌にするセンスがよいなと感心して、笑ってしまった。笑い出した私につられて、「えへへへ」と笑顔になる娘。

「お母さんが笑顔だと、子どもも笑顔になる」という言葉は、あまり好きではない。なぜなら、子育てに必死になってギリギリのところで耐えている親を「もっと頑張って」と追いつめるように使われることがあるからだ。

でも、子どもと一緒にいると、たしかにこちらが笑えばあちらも笑う、というときがある。それで家庭内のフラストレーションが一掃されるわけではないのだけれど、少しだけ空気が軽くなった。

娘の週末の行動を書き出しながら冷静に考えてみると、「なんにもやりたくない」イヤイヤ期は、「親に指図されてやりたくない」「自由にわたしの意思でやりたい」期なんだろうなと思う。

娘が創作レシピで料理したい!と言ってきたときも、私が頭をひねれば、食材を無駄にせず娘と楽しむことができたかもしれない。「画用紙で絵を描きたい」は私の気持ちであり、娘はiPadの塗り絵で楽しめる。

すべてにイヤイヤしているようで、5歳児には「親から抑圧されている」とイヤと叫ぶ理由がある。

たしかに、他人に指示されてばかりの状況下ではモチベーションが下がる。娘は人形遊びの際、わたしに「お母さんこれはダメ!」「こうしないで!」とばかり言う。あっという間に、こちらは遊ぶ気をなくす。

娘の、主に母親だけに対して繰り出される王様の姿勢にうんざりするいっぽうで、親の私が、子どもの娘に指図ばかりしているんじゃないかと振り返る。そして反省する。

自立心と意欲はできるだけ育ててあげたい。たとえば、「娘ちゃんがお弁当つくるから!」と張り切る姿勢は、尊重されるべきだ。

しかしながら、自由にさせるとリンゴとせんべいと甘いヨーグルトだけでお弁当を完結させようとする娘を、ほおっておくわけにはいかない。サンドイッチもいれようねと提案して、「なんでー!」と怒られても。

お弁当は栄養を考えて甘くない主食を入れる、とか
歯磨きと着替えの朝の支度を終えてからテレビを見る、とか
シリアルの甘いレーズンだけより分けて食べない、とか

子どもからすれば「うるさいなあ」という枠組みを、親は教えなければと思ってしまう。日々成長してアップデートされる娘に追いつけるように、口出す量や言い方をこちらも改めなければならない。

ひとまずは、休日の遊びは「テレビ第一」で他の選択肢を考えるのがめんどくさそうな娘のために、「映画館」「公園」「テレビ1時間」「自転車」とか遊びの種類を書いたカードでも用意してみればいいのだろか。その中から、その日やりたい遊びを選んで決める。

お弁当にしても、「主食」「10時のおやつ」「おかず」「果物」と加える項目をはっきりさせた上で、娘が自由につかってもいい食材を冷蔵庫にいれておくとか。

子育ては万人に当てはまる解決策はないにしても、よそのご家庭の話を聞きたくなる。4歳~6歳ぐらいの「自分でやりたい!」を応援するのに、よいコミュニケーションツールや方法とかあるんでしょうか。

なんというか、親として試行錯誤の日々、です。


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後日談的なこちらの話もよければどうぞ。







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