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英語を話すきみと、日本語を話すきみ

外国語は小さいころから学ぶほうが習得が早い、という説がある。海外移住するにしても、年齢が幼いほうが言語を身に着けるのが楽と考える人は少なくない。

我が家の娘は、5歳で英語と日本語の両方を話す。日本人親を持ち、ニュージーランドで生まれ育っているバイリンガルだ。

家庭内はすべて日本語。外では英語。環境的にはバイリンガル育児の理想に近いといえる。それでも、2つの言語を使いこなすのは、楽じゃないんだなあというのが、正直なところ。

なんでそんな風に思うのか。それは、娘の情緒面の発達とそれを表現できる語彙力・言語力が、英語と日本語の間でかなり開いてきていると感じるからである。

娘が英語に触れたのは、2歳で保育園に入ってから。それまでは、外出先で英語を耳にするとはいえ、コミュニケーションは日本語。半歩下がって、英語が日本語に追いついていくというのが、この頃の娘の成長だった。

大きな差が見えはじめたのは、小学校に入学してからだ。ニュージーランドは5歳の誕生日から小学校に入学できるシステム。通い始めて半年がすぎた。

学校では、フォニックスと呼ばれる発音、リーディングを通じた単語の習得、そしてライティングを勉強する。

これにより、娘の英語力は格段に伸びた。表現できる語彙も増えている。

これまでも、同年代の英語ネイティブの子と、変わらないぐらい話していた。使う機会が家庭内だけと限定された日本語と、使用頻度の高い英語の差が、一気に大きくなったということなのだろう。

さいきん強く感じるのが、日本語で話すときの娘の思考と発語のタイムラグだ。

英語ではスラスラ口にできる表現も、日本語だとつっかえる。

「あれとって」とか「これたべたい」など、意思を伝えたり目の前のものを表現するのは、英語と日本語で大きな違いはない。

目の前にないものを表現するときに、娘は日本語だとたくさんの時間を必要とする。

たとえば「このまえ公園でみた赤いスポーツカーに乗ってた青い服を着た男の子、あの子同じクラスの子だよ」を伝えようとする。

とたんに時系列が前後し、「あれ」「それ」「これ」などの指示語が多くなる。

今朝も、庭のレモンの木を指さしながら「お母さん、あの、あの、葉っぱがいっぱいでまっすぐなブッシュ!」「あれさ、このまえ、バーネストいたよえね」と話しかけてきた。

伸びきったレモンの枝の部分に、鳥の巣(Bird's nest)があったねという話なのだけど、記憶を共有していないと瞬時に理解するのは難しい。

ときには、娘が「なんでわかんないの!」と怒り出すこともある。こちらが、「娘ちゃんそれじゃわかんないよ」と言ってしまうこともある(反省)。

家庭内で日本語を話す娘だけを見ているので、たまに接する外でよどみなく英語でコミュニケーションをとる姿に、「あ、この子はこんなにたくさん話すのだな」と気づかされる。

なにが言いたいかというと、現地で生まれ育ち同じ母語を扱う両親のもとに生まれ、家庭内で母語・外で現地語と使い分けたとしても、2つの言語のバランスがきれいに釣り合うというのは、かなり難易度が高いんだな、ということだ。

もちろん、これは環境やその子の性格、言語能力、とりまくありとあらゆるものに左右されるので、「同じケース」は2つとしてないと思っている。

私が、現地語ではなく母語を娘とのコミュニケーションとして使っているのは、完全に親のエゴだ。いつか、娘自身が「日本語いやだ」と言い始めたとき、真摯にその言葉と奥にある気持ちに向き合わなければいけないと思っている。

娘が日本語で口にする言葉が、気持ちのすべてではない。

そんなの、人間であれば当たり前のことだけれど、二つの言葉を使う娘には、きっと表現できずに飲み込んだ気持ちがたくさんある。

私はそれを、忘れてはいけない。思考しながら言葉を選ぶ娘を前に、待たなければいけない。伝えたいことが理解できなくても、突き放したり、ましてはこちらが怒ったりしてはいけない。

(これ、誰かへの批判ではないですからね。私への自戒です。)

こういうことを、ちゃんと意識しておかないと、数年後の思春期に差し掛かったとき、娘は親とまったく口を聞いてくれなくなるんじゃないかと、バイリンガル育児をするお母ちゃんは心配しているところです。



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