見出し画像

こわいこと(2)

前回からかなり時間が空いてしまった。
このサークルについては、どこまで事実を活かすか・ぼかすか…ギリギリまで攻め込みたいが、身バレもこわい。
まあ、当時関わっていた人が読んだらわかるかな?くらいにはなっています。消されませんように…(色んな意味で)

さて、前回の続き。

私の歓迎会をしたいというAさん。まだ大学での友人も少なかった私は、とても嬉しかった。歓迎会は幹部たちが共同生活を営んでいる一軒家で行われ、皆で食事をし(今思えば、彼らはお酒を一切飲まなかった)大変楽しかった。
終電の時間も近づき、そろそろ帰ろうかな・・と準備をしていたところ、唐突にAさんから声をかけられた。

「神様の話をしようか」

神様って、あの神様?キリスト的なやつ?なんで?
困惑する私とは打って変わって、周囲の人々はどよめいた。

「Aさんが神様の話をしてくれる」

「Aさんから直接お話聞けるなんて、すごいことだよ」

「あなたは選ばれた人だ」(←本当にこう言われた)

正直早く帰りたかったが、そんなにすごいこととあれば私も無下にはできず、話を聞くことになってしまった。パーティーが催されたリビングから、6畳ほどの別室に通される。私とAさん、あとはいつもAさんと行動を共にしている2人の女性の4人。部屋は畳の和室で、小さな座布団がピッタリ人数分。おそらく、私がここで“神様の話”を聞くことは最初から決まっていたのだろう。

神様の話とは、聖書のことだった。新約聖書(うろ覚えだが、確か新約だった)の一節をAさんは私に読み上げるよう指示。イエスが漁師に何か言って魚取るのをやめさせる、みたいな話だったと記憶している。音読が終わると、この場合の「魚」は何を意味するのか、私たちはこの話をどう解釈し、どう生きるとより良い社会になっていくのかという、Aさんの講釈のターン。

本当に、本当に申し訳ないけれど、二十歳そこそこの女子大生にとって、より良い生き方の指南よりも、一刻も早く帰宅して、招待されたばかりのmixiの日記更新とネットサーフィンを嗜みたいというのが本音だったが、ただなんとなく、聖書ってこう読むのか、こう落とし込んでいくと良いのか〜と面白く感じた。

その日を境に、私は“神様の話”を度々聞きにいくようになっていった。

(続く)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?