見出し画像

どんなキャリアを歩んできましたか?社会人の先輩に突撃インタビュー!

はじめに

皆さんこんにちは。飛田ゼミなんでも取材班3年生の砂畑龍太郎です。

今回は前後編二本立て!
テーマは「社会人の先輩に突撃インタビュー」ということで、今回は株式会社フリーランスの価値創造部門”太刀持ち”の高柳さんに取材をしました!

この記事は大学生向けに、実際に就活をして社会で働く社会人の先輩に突撃インタビューをするというものです。

厳しい家庭で育ち、転職を何度か繰り返した高柳さんはどのような経験や思いをしながらここまで歩んで来たのでしょうか。

それでは早速インタビュースタートです!

インタビュー

ー本日はよろしくお願いします!

高柳さん「こちらこそよろしくお願いします!昨日の夜は、この取材の為に人生を振り返ってきました(笑)。」

ーありがとうございます!それではさっそく始めていきたいのですが、社会人の先輩にここまで歩んできたキャリアを伺うと考えたときに、「どこからがキャリアのスタート」なんだろうと昨日考えていたんです。
ですがやはり生い立ちからがキャリアのスタートかなと思いましてそのあたりからお伺いしたいなと思います・・・

高柳さん「そうだよね(笑)。私もどこから話そうかなって考えてたんですけど、やっぱりそこからだよね!」

ーなのでまずは生まれからお伺いしても良いですか?

高柳さん「はい!私は佐賀県で生まれました。兄弟は二人いて、二つ下の妹と、五つ下の弟がいます。」

ー高柳さんは長女ということですね。ご家庭はどんなかんじだったんですか?

高柳さん「そこがこれから話すことに関係してくるんだけど、いわゆるお堅い家庭っていう感じで。父親が教師ということもあり、厳しい環境で育ってきました。」

ーなるほど。お父さんが先生なんですね。

高柳さん「そうそう。お母さんは専業主婦なんだけど、子供を優秀に育てたいという点は父親と意見が合致していて、それもあってお堅い家庭が出来上がっていました。」

ー小さい頃のエピソードでいうと、何か高柳家ならではの文化みたいなものはありましたか?

高柳さん「うちだけではないとは思うけど、幼稚園の頃から英語、スイミング、お茶、花道、バレエ、ピアノと大量に掛け持ちで習い事をしていたとかかな?」

ーそんなにたくさんですか?それって友達と遊ぶ暇とかあったんですか?

高柳さん「いや、もちろんないよ。だけどやっぱり友達が増えてきたりするとその子たちと遊びたいなって思うのは当たり前じゃん?だから習い事を休んで遊びに行きたいって言ったことがあったの。そしたら親は、自分で始めたことなんだから最後までやり切りなさいって言うの。」

ーなるほど。ということは、習い事自体は高柳さんがしてみたいと言って始めたことだったんですか?

高柳さん「最終的に「やる」といったのは私なんだけど、そう言っていたのにも理由があって。幼いながらに、親はお金をかけて習い事に行かせてくれてたことと、子供にここまでお金をかけるのって簡単なことじゃないってことを分かっていたつもりで、親からこれしてみる?って聞かれたらNoの返事はできなかったんだよね。」

ー幼いときから、よく言えば相手の気持ちを考えることができてた感じですね。

高柳さん「よく言えばだけどね(笑)。それで結局習い事をたくさん掛け持ちしながら小学校に進んだの。けど小学生になってまた別の友達ができて、その友達がバスケに興味を持っていて、私もバスケってかっこいいなって思ったから始めることにしたの。」

ー新しいことに挑戦し始めたんですね。

高柳さん「そうそう。けどこんなにたくさん習い事していたら時間がないから英語とスイミング以外はなんとか辞めることができて。といってもいくつか習い事をしているわけで、勉強にも熱が入らない時期があったのね。けどテストで100点とるのは当たり前っていう家庭だったから、それ以下の点数をとると信じられないくらい怒られたりして。」

ー小学生の頃から習い事の掛け持ちに加えての勉強っていうのは大変ですよね。

高柳さん「そう。それに元々遺伝子的に頭がイイって感じでは無かったから自分の努力でどうにかするしかなかったんだよね。それでどうにか頑張ってたんだけど、小学校高学年になってからまた大変になって。」

ーここからまた大変になるんですか?

高柳さん「入ってたバスケのチームがいわゆる強豪で、高学年になるとスタメン争いが始まるのね。それに加えて二つ下の妹もバスケをし始めて、しかもすごく上手でさ。同級生にも妹にも負けられない、そして親からもやるからには上手にできないといけないでしょっていう感じで話されてて。」

ー周りと自分を比較しつつ、ご両親の気持ちにも応えないといけないという環境にいたわけですね。

高柳さん「そう。実際、周りの人が私と誰かを比較していたかは分からないんだけど、その時の自分は周りの目を気にして。周りよりも優れていないといけないっていう考えでしかなかったの。」

ー小学生の時にそのような考え方が生まれ、当時の高柳さんの中で確立されてしまったんですね。そのまま中学に進んでいくわけですね?

高柳さん「そう。ここまでの話を聞いていて分かるとは思うけど、そのタイミングで中学受験っていうものも経験しましたね。ただ自分から受験したいと言ったわけではもちろんなかったし、やらされていることって全然自分に入ってこないしで、結局希望したところは落ちてしまったの。」

ーたしかにそうですよね。自分のこととしてなかなか捉えられないはずです。

高柳さん「そんな感じだったかな。結局そのまま小学校の友達と同じ中学校に行くことになって。その時の私は「自分は勉強ができないからこの中学にいるんだ」っていう風に思ってしまっていたの。」

ーなるほど。周りの目を気にして取り組んではいたものの、結果が実らずそれによって自尊心もそがれてしまったわけすね。

高柳さん「そうそう。それで結局、友達がバスケすることにしていたから私も断れずにバスケをすることにして。けど中学になったら小学校の頃とは比べ物にならない厳しさの顧問で。たくさんきつい経験をして辞めたいって何度も思ったよ。」

ーそんな状況でも辞めずにバスケを続けたのは周りの目を気にしてというところですか?

高柳さん「そうそう。周りの皆がどう思ったかは分からないけど、脱落者って思われるのがいやだったの。だからきつくても辞められなかったね。」

ーなるほど。そのまま3年間をバスケと勉強に費やして高校受験をむかえるわけですね。

高柳さん「そうなんです。もちろん高校受験でも色々あって。親からしたら希望校なんて佐賀県で一番頭の良い高校以外ないでしょっていう感じでさ。けどあと少しだけ点数が足りないってわかってたから結局志望校のレベルを少し下げてそこに進学することにしたの。」

ーこうして高校に入学するわけですね。

高柳さん「そうそう。ただここからも色々あって。入った高校が付属の中学もある学校で、中学の頃から付属にいた子たちのことは内進、それ以外のこの子のことを外進って呼ぶのね。それで、内進の子たちは中学の頃から高校の勉強内容に触れていたりするから成績がイイんよね。けど親に怒られたくないとか、先生からひいきされるのはやっぱり成績優秀者だったから勉強を頑張ろうとはしたの。けどやっぱり伸び悩んで。高校の時はだいぶ勉強の面では落ち込んでいたね。ただ友達はいたからそういう面では楽しく高校生活は送ってた。」

ーやはり小さい頃に芽生え、確立された思いっていうのは高校生になっても続くものなのですね。

高柳さん「そう。だから本気でグレようかなって思った時期もあったよ(笑)。ギャルになろうかなって思って(笑)。」

ーギャルですか!(笑) ただそうはならずに大学に進学していくわけですね。

高柳さん「そうだね。同級生の一部は大学には進学しないで専門学校に進む子もいたのね。ただ親からすると大学に行くに決まってるでしょって感覚でさ。私も専門学校に行きたいって言ったらそれはすぐに反対されたね。それで大学受験をすることになるんだけど、あんまり勉強もできなかったから有名な国公立を目指すのは難しくて、ランクを下げて国公立を受けたのね。ただ、センター試験で回答欄をずらして記入してしまっていて、行けそうだった大学にも受かることができず、私立を受けて福大に受かったって感じかな。」

ーなるほど。人生だから、生まれから高校までを振り返ったら誰しも色々あるとは思いますが、ほんとに波乱万丈といいますか。お悩みをもちながら歩んできたここまでだったんですね。しかし本題はここからといいますか、いわゆる社会人の一歩手前となる大学生活を高柳さんがどんなことを思いながらどんなふうに過ごしたのかすごく気になります。

高柳さん「そうだよここからだね。ここから4回の転職をするわけだからね(笑)。」


ーすごく気になるのですが、とてもボリュームのある内容なのでここまでを一旦前編としたいと思います!(笑)。

高柳さん「まさかの二本立て!」

ーですね。ボリュームのある記事にはなりそうだなと思っていましたが予想を上回る感じで、、、。このあとも引き続きよろしくお願いいたします。

高柳さん「はい!よろしくお願いします。」


おわりに


いかがでしたでしょうか。といってもまだまだ高柳さんの人生を高校生まで振り返ったところです。

しかしここまでに出てきた当時に高柳さんの考え方や悩みがここからのキャリア形成に大きな影響を与えていくんです。

ぜひ次回の投稿をお楽しみにしてください!

それではまた金曜日!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?