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開運力で転職を成功に導けるのか!#28

この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。               <み~さん>

第三章
<何が何でも海外>

仕方がなくて入社した会社「和光」は無店舗販売の会社で数か月に一回、お客様を旅行へ連れて行ってそこで展示会をするいう形態の商売をやっていました。東京を中心に13の営業所があり社員数300人位でした。私は横浜港南支店に配属されました。

本社の一か月の研修は受けたものの生まれて初めての営業職ですから、右も左も判らないことばかりでした。同期入社は16人で22歳の新卒は1人だけで、あとは浪人、留年した者ばかりでしたがやはり一番年上でした。

この会社は個人成績、支店成績が貼り出されるので誰がいくら売り上げたかすぐわかるようになっていましたので先ず同期には負けたくないと思ったものでした。横浜港南支店というと立派な感じですが古いビルの一階の事務所でした。

叩き上げ感満載で色黒、髪の毛は薄かったが目がクリンとしてどこかアシカに似た店長でしたが人を操縦するのが上手かったので私も煽てられてその気になって頑張り始めました。研修で飛び込みばかりされられたのがようやく判ってきます。この会社は訪問販売で着物を売るという、ありえない会社だったのです。

ありえないとは私がそう思っていたからです。支店には先輩が4人いましてその中で一番売っている主任が売り尽くした地域を担当することになりました。名簿を渡され挨拶回りをしますが、良い客は主任が引き継ぎでいますので全く反応がありませんでした。

最初の月はダンス部の後輩が成人式をするので着物一式を買ってくれただけでした。私はセールスの本を読みまくりました。そこでアイデアが浮かんで実践してみることにしました。名刺の裏に色鉛筆で木を描きセロハンテープ5円玉を張り付けて留守である訪問先において行きました。「ご縁があるように」という願いを込めました。

名刺だけおいても捨てられるだけで名前すら憶えてくれていませんでしたが、なんとこの名刺の効力は捨てたもんではありませんでした。

「あなたなの?五円の名刺、びっくりしたわ~」などと話してくれました。「ご縁があるようにと思って、チラシ持ってきたので見たください~」とかしつこくしないようにしました。

3日に一回まわるよにして留守だとまた5円玉の名刺を置いて行きました。たまたま訪問してお客様が自宅にいた時に「もう名刺おかないでいいからね、ところで何の営業名なの?」とかお客様の方から聞いて下さるようになりました。もちろん初めて話したお客様にはその日のうちに「サンキュウハガキ」を投函したものです。

それを続けていたら、打ち解けられたお客様も増え、その御宅で着物の展示会が出来ることになったりしました。配属されたころは、やっても無駄だ、絶対売れないなと思いきや、必要もない高価な着物を買ってくれてたりするのです。それも私は何もせず、展示会を開いてくれてお客様が営業してくれるのです。

そのお客様は私と同い年の息子や娘がいて「こんな仕事をさせられて」と不憫と思ったに違いないのですが、私は売れれば良かったので甘えてしまいっていました。そんなことが2か月3か月と続いているうちに売り上げが伸びてくるのです。

4か月目にサンシャインシティで全支店合同の展示会がありました。その時にバス2台のお客様を集めるまでに至ったのです。当然売上もトップクラスに入りました。訪問販売で着物を売るには、お客様とよほど親しくなければ商売は成り立ちません。ですから日曜日、祝日に限らず必要とされて声がかかれば自分の仕事でなくてもお客様のアッシー君、御用聞きになっていたのです。

それが良い方向に向かって行きます、紹介が増えてくるのです、ですから無理な訪問販売は止めてお客様が特になる旅行付の展示会を主に営業を変えて行きました。売れない月もありましたがトータルで帳尻が合うように考えたものでした。

ですから普段の営業は旅行に参加してくれるツアー客探しのようになっていました。バス旅行ではバスガイドまで引きうけていました。しかし突然辞めたくなりました。一年位経ったでしょうか、恋に落ちるのです。

なんで恋に落ちて会社を辞めるまでなった理由は相手の父親に反対されたからでした。あるパーティで知り合った彼女は一流企業の御嬢さんでした。 そのお父さんから「君と娘とは環境が違い過ぎる、絶対に友達以上にはならないでくれ」と釘をさされたのです。

ショックというよも、すごく怒りが湧いてきたのです。その時、自分の会社が無店舗販売だからか!なんて単純に思ってしまったのです。たぶん、彼女のお父さんはの言葉の意味は、必ずしもそいうことではなかっただと思いますが、自分でも当時勤めている会社の形態が胡散臭いと感じていたんですね、いやそう思いたかったのでしょう。

親の偏見で二人の仲を引き裂かれたのではかまわないと鼻息が荒かったわけです。そこで就職情報がでてきます。いつもの愛読書です。

狙うは有名呉服店!有名な呉服会社なら文句は出ないだろうなんて勝手に思って行動を移します。一か月後には面接を受けたのです。今思うと若気の至りしかありません。面倒見てくれて店長に申し訳ないことをしたと思っています。

「なんで辞めるだ!」何度も言われましたが、交際相手の親の意向だなんて言えやしません、ひたすら自己都合でと誤りました。          ここで辞めなけば別な道があったのでしょうがこれも運なのかもしれません。


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