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開運力で転職を成功に導けるのか!#67

人生には運が良い時、悪い時があるものです。

「それを知るにはどうしたらいい」ってことで占いを学び占いスクールに通い始めたのが2002年でした。その前年は「狂った年」とでも言うのでしょうか良い事も悪い事も重なった年でした。特に8月は慌てふためいた事を今思い出しました。

離婚をして新築マンションを買うことになった折、三井住友銀行の当社の担当がいて住宅ローンを使うことを相談したら是非当行で使ってくれと頼むのでそのようにしていた。するとマンションの契約直前になって全額出せないと言う連絡が2日前に来たのです。それも550万も少ない金額でなら貸せると言う、とんでもない無礼な話です。

担当はその1週間前に転勤になったので挨拶に来た折に「その件は大丈夫か?」と聞くと「問題はありません」と言うので安心していた矢先の話だったからだ。全面の取引もやめようなんて思いもありましたが、そこは輸入で使っていた経緯もありいったんは穏便にしましたが怒りは収まらないので直接に担当の上司に会いに行った。しかし、「全額は出来ない」と一点張りでしたが、彼から提案がでます。「550万円を会社に低金利で貸します」というのです。つくづく銀行はずるいと思ったものです。とりあえず自分の預金から補てんをしたことで住宅ローンを組むことは出来たが、後味の悪い事になった。

そもそも、なぜ離婚になったかと言うとペットの育て方の違いから火がつきそして、我慢できずに離婚となったのだが、こちらが一方的に言い出したことなのでその頃、一戸建に住んでいてそれを渡すことで離婚承諾となった。

今考えると何でそこまでして別れる必要があったのかなんて思う。

四柱推命には大運/年運で運気を見ます。当時私の大運は正財/沐浴 年運は傷官が廻っていました。大運の正財/沐浴は目標があやふやになり気が迷いながらフワッとした10年になるもので、まさしく39歳から49歳までは気の迷いは多く地に足がついていない状態でした。沐浴は気の迷いですから生活はフワフワしていたかもしれません。そして年運の傷官は人間関係がピリピリするときでしたので離婚・住宅ローンの問題があり、まさにイライラしていた時期でした。

もう、2年前に占いを勉強していたら今の人生になっていなかったと思いますが、それは後の祭りの話ですね。

そう、大運の話です。占いを知ってから自分の人生を見始め計画を立てました。私が59歳になるまで財星が廻っていたので悪い年ではないことは判っていました。

しかし2011年の大地震によって考え方がガラッと変わります。その年は年運は傷官でした。大震災の後1年は店の業績は地方も東京も全く目が出ず、赤字になって行きました。預金はありましたが、日銭が入らないことが続き、こんなに恐ろしいとがずっと続くかと思うと性格が意固地になって行くのが判りました。

部下を見る目も変わり「働かざる者はやめてしまえ!」と思う気持ちが強くなりました。

なんて身勝手奴ばかりが俺の周りにいるんだとかなり思い込みました。そしてその後、地方の店は横領があり手放し、本店は長年いた右腕の店長をやめさせた経緯があります。

傷官の年はどうしても人間関係が稀薄になったり、摩擦が起きるのは判っていました。運勢を知っていながらも運勢も見ず開運に結び付けなかった自分がいます。結局、それをきっかけとなり、自分の気持ちを優先して相手を無視して決行したのです。つまり周りのものではでなく私がかなり身勝手な行動をとったのです。

その結果、店舗も東京店と富山店になり私1人になってしまいました。しかし, 固定客がいたので経費が減った分、逆に利益が多くなりました。

前回に書いたと思いますが、銀座に移転することとその後なるのですが、大運を見据えての判断でした。



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