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開運力で転職を成功に導けるのか!#52

この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。

第五章 最後の転職になる

<何も知らないバイヤーだけど・・>

札幌店のオープンが9月と決まり商品を仕入れなければなりません。   イタリアはバカンスで長い夏休みなので8月末にミラノとフィレンツエに向かうことになりました。


仕入については自分でやるのも代官山店長でやるのも自分自身で開拓してきた仕入れ場所なので緊張はなかったし、今回からは輸入代行業者と直契約なので輸入手続きで銀行に行くこともなく商品が到着しないなんて不安もありませんでした。

その当時、知人のショップオーナーからどこで仕入るのか良く聞かれました。その時は工場で買うと言っていました。フィレンツエでは確かに生産工場で買うのですがミラノでは日本でいうセレクトショップで仕入をしていました。

どこでその場所を知ったかというと現地のガイドからの情報でした。教えてくれたのはメレニャーノと言う街のグアダローバというセレクトショップでした。ミラノから片道50キロ位離れていたと思います。けして大きな町ではありませんがそんな街の中心に立派なセレクトショッがありました。イタリア人は服をこよなく愛すと言われているようにオシャレな人も多かったです。

ここには背丈は高くはないががっしりとした身体つきのアンジェロと言うちょっと若くしたロバートデニーロ似のオーナーがいて定価から20%OFFにして売ってくれました。ガイドがちゃんと私の事を説明していたのでしょう、初めての時からいい感じで接してくれました。

その当時の東京はアルマーニがブームになっていました。私はアルマーニのメンズ・レディスばかり買っていました。スーツを仕入れればすぐ売れた記憶があります。


その当時は日本の上代とイタリアの上代格差が激しく、海外で仕入れても問題なく利益がありました。しかし、私が独立する時期になって、イタリア国内でアルマーニ社が出荷を制限して来ました。小さな街のグアダローバが売れすぎだと言うことでした。それは当たり前です私を含め、各国から買いに来るので仕入れた服が直ぐに無くなるからでした。

アルマーニ社はきっと調査して卸をしてると踏んだじゃないかなと思っていました。ですから独立する1年ほど前から訪問しても同御者の誰かに買われて良い品は無かったことが多くなってきました。

しかし、それでもミラノに行けば顔を必ず出していたので次に流行るブランドを教えてもらいそれを買い日本で売る事をしていたら、独立した2年後からトレンドのショップと言うことでブランド雑誌に掲載されるようになったのです

前にも言いましたが私はアパレル出身ではありません、服の事は良く知らないのです。売れれば良かっただけでした。なので素直にアンジェロの言うことを聞いてそれを買付しただけですがそんな流行のショップになっていくのです。

いつもミラノの駅前のホテルに泊まりタクシーを1日か2日間貸切ます。 代官山店の時は2日間でしたが独立後は1日ですましました。ミラノ郊外を2、300キロ走るのでタクシーが必要なんです。タクシーと言っても街中に走っいる黄色のタクシーではなく日本的に言うと黒塗りのハイヤーです。

乗り心地も良いし意外に安いです。その当時9時頃から仕事をしてミラノのホテルに19時頃ついて、3万~4万円位だったと思います。まだユーロではなくてイタリアリラだったころで安く物価もユーロになってから高くなりました。いい時代だったのかもしれません。

独立する1年前からだいたい仕入れルートが決まって効率の良い仕入を心掛けていましたのでガイドを外して動くようなりました。ガイド料金5万円がもったいなく感じたからです。

今回も先ず目的地のグアダローバに向かいます。しかし8月末では秋物が不ぞろいで買える服が無かった。店を持つことになった話をすると大層喜んでくれたが好みのものが無いと判るとアンジェロが可愛そうとおもったのか「「プリズマ」は知っているか?」と聞かれます。

その当時、日本ではまだ未入荷のブランドで1年後位に「プリズマレイ」の名で全国展開していったブランドです。
プリズマはマックマーラグループで一番新しいブランドで買いたいなら教えてくれると言うのです。

ブランド名は知らなかったがアンジェロが売れるといなら買ってみようと思いました。しかし商品はここにはなく別なテッシーレと言う店で、ここからさらに50キロ先だと教えてくれた。早速タクシーのドライバーを呼び、アンジェロから住所を聞いてもらってそこに行くことにしました。

その町はメレニャーノよりもっと小さい感じがした。行ってみると結構大きな建物で衣料関係の物をすべて売っている問屋だったのです。実はあとからわかるのですがアンジェロの奥さんの実家で奥さんの弟が社長でした。  3年もグアダローバで買っているので話は聞いているらしく、すんなり会社に入れてくれました。

とりあえずプリズマを買いに来たのですが、他の商品に目がいってしまいました。ドレス、下着、部屋着などこれまで縁のなかった品を買うことが出来ることになったのです。

プリズマはビニール袋に被っていて店頭ではなく倉庫に吊るしてあった。ビニールを破って見ると誰にでも合うようなアイテムだったので「これはいける」直観的いいと思いました。なので良いと思う物をかったぱしから選びました。社長はこんなに買うのかなんてビックリした顔つきになっていました。そのお蔭でこの商品は札幌店で人気となり売上も伸びて言ったのを覚えています。

するとこの社長がマックスマーラだけの売っている店もこの近くにあると言うことで紹介してもらいました。3年前に日本の代理店にコケにされたものを売ることができるようになったのです。このマックスマーラは新宿店、札幌店のフロントに飾る商品、トレンド商品になったのです。

他にミラノの買付は7か所位仕入をする場所がありました。これはすべてスーパーブランドのストックでしたので商品自体は安いのですが、あたりはずれのある服でした。

その他の場所は、その日に連絡をして商品があるかないかを聞いてから向かうのです。しかしそんな倉庫はドカンと大量にブランドが入るとそれっきり入荷が無くだんだん減って行き、変なものしか残ってないのです。

世界中から買付に来ているわけですから減るのは当たり前でした。
特に夏物は苦戦しました。外人は露出は平気ですが日本人はその反対ですから手に取るも全て日本人このみではではない商品ばかりででしたから。


しかし、この商品は利益を生む商品でした。グアダローバの今季商品は粗利40%位でしたがこのストックは粗利300%位あったでしょうか、とにかく安く仕入れができたのです。

9月にオープンして3月末まで半年の売り上げが8000万を超えたのです。その時はやって良かったとつくづく思いました。スタッフは私を含めて札幌に2人、東京は私を含めて3人でしたので皆に100万円づつ決算ボーナスを与えることが出来ました。

2か月置きに買付に行っていました。輸入代行会社にもきっちり支払いをしていたので信用もされ輸入枠もどんどん広がって好都合になっていきました。これから5年間は売上右肩上がりになりわが世の春を迎えます。2億5千万の売上になることが出来たのです。

独立して売上だけは一番いい時期だったかもしれません。しかし良い事ばっかりではありません、ある時絶体絶命なことが次々と起きてくるのです。


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