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辻風写真小説

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写真を使った投稿記事やTwitter(@fiyalzha)で上げている撮影写真に短編小説を追記した記事。小話にすることもあります。※全作品中、三作品をマガジンより除外しています。… もっと読む
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記事一覧

【大いなる寒気の先に立つもの】

 あぁ。  集中力が途切れてしまった。  この公式、なんだっけ……  えっと……  だめだ。そらで思い出せない。 「はぁ……何か弾きたい」  あたまの中がすっかり煮詰まっていてどうしようもなくて、気晴らしに何か弾きたかった。  でも、受験があるから。叔父の店にも顔を出せていない。  クリスマス以降、ウッドベースを全く触らない毎日が続いているから。  一日でも早く上達して、光陽の声に合うような音色を出せるようにしたい。  したいなって、思ってるのに。  私の学力で、光陽

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【月と清風 一】

■前話  ヴィッダーを泉水に放ち、シドは月齢二七.二に招かれて社へ上がる。履物は石段に残し、簾を避けて踏み入る床板がつま先で軋んだ。傷ひとつない艶やかな足元は月光を真白く照り返して、波ひとつ立たない夜の水面に佇むような心地にさせる。  薄暮はまもなく夜の帷を褥にして、東側に夜明かりが昇る。  今は、呼ばなくとも訪れる暗がり。  夜を鳴らす音は聞こえない。 「若に会ってってもいいか?」 「どうぞ」  月齢二七.二の許しを得て“帳”を覗く。途端、穏やかな大気が頬を撫でて、シ

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【虚構月】

 今日も曇り。  明日も曇り。  明後日もきっと曇りなら、明明後日も弥明後日も曇りのまま。  長々と続く悪天候の空を見上げて、幼い頃に見た丸くて真白い月を思い出す。  月の恩恵にあやかりたい。  出来るのなら、この手許で再現してみたい。  ペンとコンパスを持ち出して、紙に一枚、手頃な大きさの円を描く。  綺麗な円は描けたけど、思い出の月とは似ても似つかなかった。これじゃないやって思い付いて、懐中電灯を持ってくる。  紙を懐中電灯に貼り付けて、スイッチを入れた状態で部屋を

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【春の七草、味噌仕立て】

「新年早々、こっちへ邪魔するなんて思わなかったよ」 「嬉しいなぁ。男手があると荷物が軽々ー」 「それはどうも」  輪太に荷物置き場を指差して、水亜は郵便物を改めた。いまだに届く“水鏡水亜”宛ての年賀状をさっと眺めて小箱にしまい、ネズミのイラストが賑わっているチラシは折りたたんでゴミ箱へ挿す。 「ねーねー、輪太くんはおもちたべたー?」 「食べたけど?」 「食べてかなーい?」 「食べさせたいんだろ」 「もちろんろん」  買っておいた春の七草を袋から取り出し、ザルにあけて水に

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【階段の明かり取り】

 幼い頃の私は今よりずっと臆病で、ずいぶん泣き虫だった覚えがある。母の実家の二階に続く階段を目の前にして、いつもどこかおっかない心地がおなかの奥底から込み上げていた。  階段の半ばから覗く廊下は短くて、奥には襖、右手には茶色い木の扉がそそり立つ。そこに、大きな黒いものが私の胸元あたりから延び出してきて、怖くてそれ以上は登れなかった。  光陽はといえば、いつも私が何かとびくつくことに呆れていた。お化けがいないかどうかを聞くと、いるわけないじゃん、と言いながら、木の扉の向こう側—

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【集合写真】

 夜明照朝(よあけ・てるとも)の兄、大黒(だいこく)が夜明家を訪問したのは、新年三日目の昼。  威勢の良い嗄れた声が玄関先で弟の名を呼ぶ。 「相変わらず健脚よのぅ、兄者は」 「照朝、お前もたまにはこっちへ来い! と言いたいところだが」 「お互い、幾つだと思うとるんじゃ」  光を失った左眼を細めてにこつく口元は、二人が兄弟と判るほどに似通っている。  居間に揃う家族と、新たに加わった同居人らを紹介し、照朝は兄に椅子を薦めた。 「お久しぶりなのじゃー、大黒じーちゃん」 「よ

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【龍虎相搏つ】

「して、結局明け方まで語らったと」 「そうだ」 「孫をお前さんの寝床に寝かしつけて、お前さんはどう寝たんじゃ」 「寝とらん」 「はぁぁぁぁぁぁぁぁ?」 「喧しい」 「寝ろ」 「眠くはない」 「いや、せめて餅は食うな。儂の七十二の誕辰に喉を詰められても困る」 「詰めるものか。お前ではあるまいし」 「儂とて詰めたことなどないわ」 「なら問題ないだろう」 「人間とは誰しも睡眠不足で身を崩すんじゃ。散歩好きのお前さんには悪いが、ゆめゆめ表にも出るなよ」 「外には出掛けん」 「ほ?」

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【“晦の月”】

 銭湯の暖簾をくぐり、寒空の下に二つの足音が立つ。ひとつは若々しく、もうひとつは痩け老いた白の靴。  湯冷めする前には帰路に就きたい跫音が、秒針よりもやや早く歩道を鳴らす。  陽之守望(ひのもり・ぼう)は、祖父の後に付いて歩度を進めた。初めての道のりにまだ土地勘は働かず、今日の寝床までは祖父だけが頼り。  せめて肩を並べようと、望は祖父の左手に回る。  老いた横顔がそこに居る。  背丈も背格好もほとんど同じ、歳だけが異なる自分の姿。  それほどまでに顔つきも似通っていた。声

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【初冬に浄土は香らない】

『此処に一枚の公演ちけっとがある』 『断る』 『まーだ何も言うとらんじゃろ』 『誘うならば、俺ではなく東雲殿を誘えば良いだろう』 『紫電は稼ぎ時じゃ。儂も観に行くしのぅ』 『そうか』 『紫電のも孫娘のも毎年行っとるんじゃ』 『そうか』 『じゃからお前さんも』 『断る』 『だーめじゃ。此れはお前さんの分である』 『何ゆえ、お前の道楽に俺まで付き合わねばならぬ』 『どうせ暇しとるじゃろ、三日月じじい』 『如何でもいい』  二人のやりとりに耳を欹てつつ、輪太は襖の前を後にして居間

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【照り輝くほど影は濃く】

 彼岸が過ぎ、日没も早くなった秋の暮れ。  改札機に切符が通り、駅内へと抜けて行く。  外気は肌寒く、人々の衣服はすっかり長袖をまとい、足早に過ぎ去っていった。その中で、二つの白髪頭がエスカレーターで運ばれて、上り電車のプラットホームに立つ。 「まーたお前さんに負け越しか」  赤み掛かる白髪頭がぼやき、まだ温かい飲み物は現れない自動販売機の前に立つ。裾から財布を取り出して小銭をまさぐる。 「将棋となると、どうも勝てんのぅ」 「囲碁なら勝てるだろう」 「勝てる勝負に興味は

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【光玉と輝績の夢】

 今宵も冷たい寒空の夜。  眠れないなら、眠らなければ良い。  そうして過ぎた十年は、遺影を前にしてからは早かったのか。それとも、繰り返す日常の波に呑まれ、感覚を閉ざしていただけなのか。  どちらにしろ彼女は先に逝き、娘も未だ音沙汰無い。  何処で如何しているか。  便りがあるならば。  鏡花。娘を、見守っていて貰いたい。  突然呼び鈴が鳴り、陽之守は位牌から顔を上げる。  夜も更けようとしている静寂の時分に訪ねてくるやつは一人しかいない。  顰めたままの顔付きで玄関を開け

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【手袋】

 人々の溶ける夢から醒めて、暗がりの中に視線が惑う。障子越しに雪の気配を感じる。都内では珍しい積雪の気配。  老いた赤い目はやおら身体を起こし、明かりのもとを探す。枕元の小型照明を手探り、スイッチで暗がりが消滅する。  寝覚は悪い。いつものことだ。襖の向こう、廊下のその先で、愛妻が板場に立つ物音に耳を欹て、ここが現実であることを思い出す。  早鐘を打っていた胸元も、しばらくすれば元に戻るだろう。  大丈夫、心労無い。  自身に言い聞かせて立ち上がると、部屋の明かりを点け、着物

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【雲居の空:月陽現世再巡版】

「紫電。其方、ひまりに会うたのか」 「会ったというより、来ておるのが見えた迄よ。小雷は楽屋で会ったらしいがのぉ」 「何時じゃ」 「何時だと思う?」 「吐け」 「貴様が訪ねて来た前日じゃな」 「はぁぁぁぁぁぁぁ!?」 「……騒ぐな日の丸じじい」 「うっさいわ三日月じじい」  個室席で煽るように猪口を傾けて、夜明はしかめ面を陽之守へ向ける。 「東京に帰って来ておるなら、一度くらい顔を見せに帰ってきてくれても良いのにのぅ……」 「実家と住まいは、また居心地が違うんじゃろ」 「儂

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【望月玉子焼き】

 目を覚ますと、襖の奥、廊下のさらに向こう側から愛妻と孫の嫁の声が聴こえて、澄み嗄れた声が安堵した。  夢魔から醒めて、引き戻る現実。いつもの変わりない環境音。だが、今朝は外の気配がややか弱く感じる。霜でも下りているのかもしれない。  身を起こし、畳んでいた丹前に袖を通して和室を静かに抜け出した。  紐簾の戯れる音で、板場から妻が顔を覗かせる。 「お早う御座います」 「あぁ、御早う」 「あ、てっちゃんおはよー」  妻の声に続いて、孫の嫁——水亜の気さくな挨拶が飛ぶ。板場へ

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