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病名に殺される

病気の症状に殺される、という感覚は何かしらの病気を患った人なら理解できるだろうが、私は「病名」に殺されているのかもしれない。

精神的な病気というと、抑うつ気分が持続するうつ病や、幻覚や妄想に苦しめられる統合失調症が有名である。

私も、もう7年以上精神科に通っている当事者だ。

このnoteを始めることにした理由は「病名という鎖を断ち切るため」、「『病気の人』として発信するのではなく、一人の人間として考えを発信したいから」と自己紹介の記事で書いた。

この気持ちは、実はすぐに揺らいでしまう。

このままじゃいけないと変わろうとする前向きな自分と、病名に縋っていた方が楽だから変わらなくて良いんじゃない?と囁く弱い自分がいる。

病名に縋ることは本当に楽だった。

私という人間を、たった一言で全て説明してもらえる気がした。

私って何者なんだ?という永遠の問いから逃げることができた。

病名自体をアイデンティティにした。

高校生の頃から7年間、その名前と共に生活してきた。
Xだって、noteだって、ユーザーネームと診断された病名はセットで発信した。

発信することは、病気であることの苦しさ、症状の詳細、それらのせいで生活が難しいこと。

発信してきたことは全て嘘じゃない。本当に苦しくて、本当に心細くて、仲間がいることを確認したかった。

でも、共感を得るたびに「私は病気の人間である」という気持ちをどんどん強めていってしまった。

もう、病名以外で私を説明する言葉がない。
何度も、他の名前を探した。
「夢想家」とか「努力家」みたいな普通の名前を。
でも何もしっくりこなかった。

私には「〇〇障害」のような病名しかなくなってしまった。

下手に病気に詳しくなってしまったがために、
「〇〇障害だから、こんな考え方をするはずだ」という固定観念のようなものがずっと頭の中にあって、その通りに思考しているような気もする。

「私は病気だから」、「これは症状だから」と言い訳をして、人を傷つけることを正当化して責任から逃げているような気もする。

病名は鎖だ。

自分らしさを殺してしまう鎖。
脳を締めつけて考えることから逃げてしまう鎖。

「私はどうせ病気だからダメな人間なのだ」と病名の中でしか生きることができなくなった。

そんな自分を変えたいのに、甘えたい私にことごとく邪魔をされる。

お前は変われるはずがない。
一生、病名に縋って、甘えて、責任から逃げ続けるのだ。

いや、私は変わりたい。
私は病気である以前に一人の人間なのだ。

二人の私が言い争いをする。

変わりたい私が負ける時だって、これからずっとあるだろう。

でも、変わりたい私が心のどこかにいる限り、諦めたくない。

変わりたい私も、変わりたくない私も、どちらも私なのだからどちらも持っていたって悪くないはずだし、それこそ私らしさなのかもしれない。


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