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スイセン

スイセンがすきだ

小学生のころ登下校中に綺麗な花が咲いているのを見かけては摘み取って通学路の途中に住むみちおばちゃんに届けていた。

みちおばちゃんはわたしが届けたそれがどんな雑草でもいつも嬉しそうにコップに水を入れて生けてくれキッチンの窓際に飾ってくれた。

きな粉がすきなわたしにみちおばちゃんはいつでもきな粉を用意してくれていた。
わたしはきな粉をなににかける訳でもなくスプーンで掬って食べていた。
みちおばちゃんとテレビを見たりたわいもない話をしたりしながら。

みちおばちゃんはスイセンがすきだとよく言っていた。香りも見た目もすきだそうだ。

だからスイセンが咲く季節になるとわたしはいつも片手いっぱいに摘んだスイセンを届けては代わりにきな粉を食べさせてもらっていた。

小学校を卒業して中学校に通うようになったわたしはだんだんとみちおばちゃんの家に行く機会が減っていった。

理由は、みちおばちゃんの家が通学路ではなくなったこと、塾や部活で忙しくなったこと、そして道端に咲いている花たちにいつの間にか魅力を感じなくなってしまっていたこと。

そんな中みちおばちゃんが入院したと聞いた。
わたしは小学生にもどったような気持ちで片手いっぱいにスイセンを摘んでそれを持ってお見舞いに行こうとした。

でも、「スイセンは香りが強いからお見舞いには持っていっちゃダメ」と言われてしまった。
みちおばちゃんがだいすきだったこの香りを届けたい想いと世の中の掟の狭間でどうすることも出来ない自分の無力さに泣いた。

お見舞いに行く回数も時が流れるにつれ減っていき「そろそろ会いに行きたいなあ」とおもっていたときだった。

みちおばちゃんが息を引き取った。

まだ14才のわたしには身近な人が亡くなるという経験が初めてでもう二度と会いに行くことができない現実が理解できなかったが、弔問したとき安らかに眠るみちおばちゃんの姿を見て初めて一気にそれを実感し思いきり泣いた。

みちおばちゃんがだいすきだったスイセンの花はお墓にもお供え出来ないらしい。スイセンには毒があるのだそうだ。だからもう2度とみちおばちゃんにスイセンを届けることは出来ない。

今でもスイセンが咲いているとみちおばちゃんを思い出してはもっといっぱい会いに行けばよかったと自分を責める。

でも、スイセンの花言葉は「自己愛」なんだそうだ。
それを知った時なんだかみちおばちゃんがわたしに「過去の後悔や自責ばかりではなく、今の自分を愛しなさい」と言ってくれているような気がした。

わたしはわたしを愛して生きていきたい

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