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しつけ方を聞かれるほど「優等生」な息子を、わたしはちっともしつけていないという事実

「ほら、あの子見てごらん。ちゃんと座ってごはん食べてるよ」

まだ息子が2歳だった頃、ランチどきのファミリーレストランで、息子よりすこし大きなお子さんにそう声をかけているお母さんがいた。お子さんはその言葉に関心がないようで、お母さんの手を振り切って、席を離れようとしていた。

お母さんが言う「あの子」とは、どうやらうちの息子のことらしい。
わたしは、いたたまれない気持ちになる。

保育園のクラスのみんなで食事会をしたときには、他のお友達が食事をしながら立ち歩いたり、ほとんど食べないまま遊びはじめたりするなか、息子だけはじっと自分の席に座って、完食するまで決して歩きまわったりしないので、他のママたちに「息子くんはちゃんと座ってごはんが食べられてすごいね。どうやってしつけてるの?」なんて聞かれた。

ああ、あの、まあ、しつけって言うか…そういうひとなんで。

わたしは、息子が生まれてから「しつけらしいしつけ」をしたという自覚がない。
息子は食事中に立ち歩かないし、食べ物で遊んだりしない。大人の話はよく聞くし、「してはいけない」と言われたことは絶対にしない。お友達を叩いたり、困らせるようなこともしない。しつける隙がないと言うか、もう、はじめから「そういうひと」なのだ。

わたしも、こどもってもっと情動的で、粗雑で、乱暴だと思っていた。
それが「こども」だとも思っていたし、きちんとしつけて、マナーよくできるように導くのが大人のやるべきことだと思っていた。

まさかこんなに生まれもっての「優等生」が存在するとは。

おかげで息子は、いい子だとか、かしこいとか、えらいとか、とても肯定的な言葉をたくさんいただいて育ってきた。
だけど、わたしから見れば、その言葉のどれも息子を的確には表現していない。もっと言えば、わたしはそれらの言葉を使って息子をしつけたことは一度もない。

息子はただ、マイペースなのだ。
食べることが好きだから、最後まで遊ばずに集中してごはんを食べようとする。大人の話を聞きたいからしっかり聞くし、「してはいけない」と言われるようなことはしたくない。お友達を叩いたり困らせても、やり返されるのがいやなのではじめからそんなことはしない。
息子はいつだって自分の願望に忠実で、それを実行しているだけなのに、それが大人たちには「いい子」に見える。彼はそんなものすこしも目ざしていないのに。

そんなもんなんだよ。
ちゃんとしつけられているように見える子が、じつはすこしもしつけられていなかったり。どれだけ一生懸命しつけようとしても、なかなかそれがこども本人に伝わらなかったりする。
こどもはみんなありのまま。好きなように生きているだけ。

いいとかわるいとか、できるとかできないとか。
そんなことは大人が勝手にそう決めて、そう思い込んでいるだけ。

いい子、いいパパ、いいママ。そんなものは存在しないよ。
みんなみんな、自分らしく生きているだけだ。

それでいいじゃないか。それでいいじゃないか。

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