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言葉は道具

言葉は道具です。
だから投げつけたりするのではなく、手渡すように、わたしたちはそういう気持ちで子供たちに声をかけるように心がけています。


これ、園長の口からはじめて聞いたとき、感動のあまり泣くかと思った。いや、こころの中では号泣しながら「ハラショー!ハラショー!」って拍手喝采だった。


言葉は道具。ただの道具。
正しく使えば、ひとのこころを癒すこともできる。間違った使い方をすれば、刃となってひとを苦しめることもできる。便利で、厄介なもの。
だからちゃんと知らなきゃいけない。いい言葉も、わるい言葉も。そしてそれをどんな風に使うべきなのか、どんな風に使えば「ちゃんと伝わる」のか、いつも考えて、選ばなければいけない。言葉は、ひととつながるための道具だから。

子育てをしていると、言葉遣いには慎重にならなければいけないな、と思わされることがよくある。それでも、つい息子に向かって投げつけてしまったり、ひどいときには乱れ打ちしてしまったり、反対に、息子の言葉を無下に扱ってしまったりすることもある。

やっちまったと思っても、吐き出した言葉は二度とわたしの腹の中には戻らない。子供といっしょ。産んだからには責任をとらなきゃいけない。だから言葉の使い方を失敗したときは、ちゃんとごめんなさいを言う。それが、正しい言葉の使い方。


言葉は無力だ。ただの道具だから。
そこに力を与えるのは、ひと。だれかが力を与えた言葉は、宝物になったり、武器になったり、傷になったり。その姿を変えて、ひとのこころに残る。

言葉は、ひとを傷つけるために存在しているわけじゃない。自分の気持ちを、だれかに知ってもらうためにある。だれかの気持ちを知るためにある。その結果、ひとを傷つけてしまうことはもちろんあるけれど、それを目的に使うべきじゃないし、言葉がひとを傷つけるのではなくて、それを使う人間の態度が、ひとを傷つけるのだということを忘れてはいけない。


息子にたくさんの言葉を手渡してやりたい。できれば投げつけることなく。それは息子以外のすべての人にも、そう。
そして、わたしが正しく言葉を操るのを見て、息子にもそんな風に言葉をていねいに、大切に使ってほしい。理想かもしれないけれど。理想のままにしたくない。

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