見出し画像

幸田露伴の随筆「蝸牛庵聯話・金光明最勝王経①」

金光明最勝王経

 金光明最勝王経は大乗方等部の一大経である。天台の智者大師が、「その経文は経の王である」と広言し、「その教えは多くの経典を集める」と云う。まこと簡明にその名と実を表わすと云えるではないか。はじめに北凉(ほくりょう)の曇無讖(どんむせん)が訳出したものは四巻で、単に「金光明経」と名付けて、最勝王の三字は無かった。梵本(インド伝来のサンスクリット本)の題名に最勝王の語が無かった訳ではないが、簡略を好む支那人が繁雑を嫌ってただ単に金光明経と訳したのである。支那人は簡易と便宜を強く好む。そのため仏弟子のシャーリプトラを舎利仏多羅(しゃりぶたら)と記したものもあるが、法華経では舎利仏とし、般若心経では舎利子とし、甚だしくはシャーリの意味は鳥の名であるのに、身であると誤訳して身子(しんじ)と呼んだようなことである。また同じ仏弟子のプルナマオトレーヤープトラを富羅拏梅低黍夜富多羅(ふらなまいとれやぷたら)と伝えたものもあるが、それを富楼那(ふるな)としたような、また或いは意味から訳して満慈子(まんじし)としたようなことである。身子や満慈子ではどのような人であるかを理解出来兼ねるが、舎利仏や富楼那であれば真実からは遠いが却って能く通じるのである。このようなことで曇無讖の後には、梁の真諦三蔵(しんだいさんぞう)が同じ経を訳すに際して、「この経をつぶさに外国の音を取り入れて表せば、修跋拏婆頗娑鬱多摩因陀羅遮閲那修多羅(金光明帝王経)と云うべきである」と云ったことに照らしても、最勝王の意味にあたる語が初めから存在したことを知るべきである。修跋拏はここでは金を云い、婆頗娑はここでは光を云い、鬱多摩はここでは明を云い、因陀羅はここでは帝を云い、遮閲那はここでは王を云い、修多羅はここでは経を云う。曇無讖は中インドの人でダルマクシャである。そのため「法華伝」では曇無羅懺とされているが、省略してラクシャを讖と訳す。これもまた舎利仏や富楼那の類である。訳者の名前さえ省略する、訳経の名が省略されるのも不思議ではない。曇無懺が訳したものは今も遺る。原本が欠脱した不完全なものなので、訳本もまた欠けるところ多く十八品で止む。そのため周になると闍那崛多(じゃなくった・ジナーグプタ)が再び訳し、梁になると真諦三蔵(グナラタ)が再びこれを訳し、隋になると新たに梵本が多く到来したのに際してガンダーラ国の三蔵法師である志徳(義訳の名である)が訳を追加し、そして大興善寺の僧の宝喜(宝貴?)が志徳訳を除く以上の三訳を整理集合し、各訳者の名を遺す二十四品八巻の合部金光明経を作った。合部金光明経は今も現存していて無くなってはいない。ただその作られたのが古く遠いことから、永い間を輾転と書き写されてきたため、陀羅尼(経の呪文)などは、訛り乱れること真(まこと)に甚だしいものがある。隋の智者大師が金光明経の甚深広高なことを讃歎し、「金光明経玄義」二巻と「金光明経文句」六巻を出して、大いに金光明経の徳光威燄を揚げてからは、金光明経は世の尊信するところとなったが、智者大師が根拠とした経は曇無懺や真諦の旧本である。智者大師の後、唐になって「金光明最勝王経」十巻が義浄三蔵によって訳出される。ここに至って題名にも最勝王の語が備わり、また本文も完備して、三十一品全てが完了する。義浄三蔵は唐の僧でインドに遊学すること二十余年、玄奘三蔵以後の最も信頼できる訳者である。義浄の訳が出たことで旧訳は殆んど廃(すた)れる。現在の金光明最勝王経を読む者で、「金光明経玄義」や「金光明経文句」を読まない者は無いであろうが、曇無懺や真諦の旧訳を眼にする者は稀であろう。これに反して、「金光明経文句記」六巻と「金光明経玄義拾遺記」六巻は、宋の僧の知礼が著わした智者大師の撰を注解したものであるが、今も遺っていて、しばしば学徒の参照するところとなっている。曇無懺等の前功は既に尽き、智者大師の余徳は猶も永く流れると云うべきか。(②につづく)

注解
・金光明最勝王経: 四世紀頃に成立したとみられる仏教仏典のひとつ。大乗経典に属し、日本においては『法華経』・『仁王経』とともに護国三部経のひとつに数えられる。
・大乗方等部:大乗仏教の経典。
・智者大師:中国・南北朝時代から隋にかけての僧侶。天台宗の開祖。天台大師、ともいう。
・曇無懺:中インド出身の訳僧。中国・南北朝時代の北凉で訳経に携わる。
・シャーリプトラ:仏教の開祖釈迦仏の十大弟子の筆頭に挙げられ智慧第一と称される。サンスクリット語でシャーリプトラのシャーリは母親の名前「シャーリー(鶖鷺)」から取られておりプトラは「息子」を意味する。漢訳では舎利子とも表記される。
・プルナマオトレーヤープトラ:プールナ・マイトラーヤニープトラ
・真諦三蔵:西インド生まれたインド僧であったが、中国・南朝の梁の武帝に招かれて経典の翻訳にたずさわる。鳩摩羅什・玄奘・不空金剛と共に四大訳経家と呼ばれる。
・闍那崛多:北インドのガンダーラ出身の訳経僧である。中国の北周から隋の時代に来朝して仏典を漢訳した。
・陀羅尼:梵語(サンスクリット)の発音で唱える経の呪文。
・義浄三蔵:玄奘三蔵法師を慕ってインドに渡った中国・唐の僧。帰国後「華厳経」などを漢訳し、三蔵の号を賜った。
・知礼:は、中国・北宋の天台宗山家派の僧。四明智礼と呼ばれ、四明尊者、四明大法師とも尊称される。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?