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幸田露伴の讃「兎の讃」

兎の讃

 兎は一見したところ柔和で、敵を悩ますような角も無ければ、自分を守るための牙も鋭くなく、身体はふくよかでまるで綿細工のようである。長い二つの耳は未だ開かない芭蕉の葉のようで、ただ月を見て能く跳ねることを聞くだけで、終(つい)に世に於いてどのような功績があるのかは知らない。月に行って美人に従って薬を擣(つ)くと云えば、新しい女の先祖の加担者のようでもあるが、骨に歎いた老人の為に復讐をしたところは古風な習慣の維持者のようにも思われる。広寒宮(こうかんきゅう)の秋の宵に玉杯しきりに勤(いそ)しむのは可(よ)いけれども、カチカチ山の冬の嵐に薪火をタチマチ煽るとは何とも酷(むご)たらしい。しかし根は優しい者なので、眉刷毛となっては姫君の花顔にソッとあたり、細筆となっては仮名文字の艶書となってなまめきはたらく。知恵もイササカ有って、神代の巻きでは鰐(わに)を欺(あざむ)き、山辺の窟(あな)では人を迷わせて、狡兎と昔から云われているのも面白い。兵法は義経の八漕飛びを学んだのか、「波を走る」と白楽天に云われたソレは、言うに足りないが、仁慈(なさけ)は我が子の為に腹の毛を毟(むし)って巣を作る。まことに人はずかしい振る舞いと云える。ましてその昔、山籠もりした仙人が寒さの冬に向って、木の実も草の実も尽き、谷は冷え水も凍りついたので、「人間に戻ろう」と云うのを聞いて、之を供養して、成道させようと身体を火中に投じて自ら犠牲になった「兎王経(とおうきょう)」の趣旨は、まことに有難くも尊い例で、白玉を用いて刻み、瑪瑙(めのう)を用いて現わされたお前の姿が世に多いのも、その功徳のせいかと思いやられる。前足と後足と長短があるのに、不注意に飛んで転がるよりは、雪の身の白く、南天の眼の赤く、塗り盆にかしこまった可愛さを万人は愛して居れば、ただおとなしく樫の葉陰に眠り居れ。
(大正四年一月)

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