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ドキュメンタリー、直球と2次消費の間で

「若手」「ドキュメンタリー」というイメージから、どんな新しい手法で取り組んでいるのか興味がありました。

映画「阿賀に生きる」公式さんのリツイートで知った、陸前高田のドキュメンタリー映画。その監督が語る「阿賀に生きる」の一説。「阿賀に生きる」は、新潟水俣病と言わずに人々の日々をおったドキュメンタリーの金字塔です。

でも『阿賀に生きる』(1992、阿賀野川流域に暮らす人々を描いた佐藤真監督のドキュメンタリー映画)のカメラマンだった小林茂さんにお会いしたとき、「人の悲しみをカメラで背負うということはできないし、あなたの悲しみにすることはできないんだよ」と言われたんです。

■GQ 2020年11月21日記事より一部抜粋
https://www.gqjapan.jp/culture/article/20201121-haruka-komori-interview

インタビューの最後は「『阿賀に生きる』の、製作発起人になった旗野秀人さんというかたを、阿賀にかよって撮っています。」で締めくくられていました。

いいネタを引いたと思いました。
1年前に男木島の上映会「阿賀に生きる」で旗野さんにお会いして、一貫して行動している月日の積み上げとネットでは追いきれない強烈な印象でした。旗野さんを介して、餅屋のじいちゃんや船大工さんを思い出すことが、阿賀に繋がっていくのだろうと思います。歴史を風化させないと声高に叫ばなくても『阿賀に生きる』から派生した活動が、公害を包括した文化を漂わせています。

でも、それって2次編集でしょう?
陸前高田のドキュメンタリーから、阿賀へ。ネタの2次利用は「消費」ではありませんか。2年前だったか、豊島の産廃を題材にした写真展が東京であり、住民会議の資料が加工されて展示されました。豊島事件を広く知ってもらいたいと主催者は取材に答えていたけれど、それは豊島事件を消費した個人の活動でしょう。アーティストを自称する展示でした。

ドキュメンタリーでも、学生の聞き書きだからか、霊性を扱っているからか、加工された感じがしない「霊性の震災学」。初版の第1刷が手元にあり、気になって今週は読み返していました。

■芥川賞候補「美しい顔」は「彼らの言葉を奪った」 被災者手記・編者の思い ・yahooニュース2018/7/7(土)より石戸諭さんの記事


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