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何に引っかかったのか、反芻して対象をとらえ

あれ?と思うようなひっかかりが一つありました。複数回、あれ?が続いたら要警戒の域。
先日、仕事の経緯を説明してもらっていた時のこと。わたしも同席した打ち合わせ後の話ですから、案件は見当がつきます。その後の状況説明は順を追って登場人物が増え、意見が広がり、この話の到着点はどこへ向かうのだろうと思いながら聞いていました。質問を挟まないように、話が的を得なくなってきたら要約して「こういうことですね」と確認。そろそろこの話もまとめかなと思い、最適解としての一例を挟んだら、もう一度話が繰り返され、話者の新たな考えが加わりました。

同じ話を3回聞くうちに、話者の論点がずれてきました。わたしは聞きながら、頭の中で意見と事実と推測をわけていました。その途中で、あれ?と思うようになったのです。自信のある正当性を主張された時、どうやらわたしの中でイエローが点滅するようです。筋が通っていて正しいことを言っているのに。会社のためとか、社長の考えの代弁のようで精巧なのです。でも、その意見が出るのは何か操作していませんか?と。

ここまで振り返って、今日のテーマがわかりました。借りてきた言葉や虚構は見抜かれる。自戒を込めて、熟考した上でそれを体現しているかが問われます。今回のあれ?は、そこを測ったゆえの現象でした。さらに、本当のところで信頼していないのだなあと気がついてしまいました。俗に言う「耳障りのいいこと」に警告が鳴ったのです。

ブレないとは、いかに大儀であるか。ドキュメンタリー「なぜ君は総理大臣になれないのか」に思うのは(2回見ました)、俯瞰した社会や自分を語る主人公の姿勢です。苦しい顔もしますが、全編を通して印象に残るのは目尻にシワを寄せた笑顔です。主人公の本質は脚色できない。演じる、隠す、飾るということがない本質。語られる言葉や口調に惑わされず、容姿にも左右されない、暗闇で一層発光するものが感じられます。

表裏一体であることが、これからはなお一層あるべき姿なのですね。

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