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昔はいたよね

トークイベント2/1の続きです。肝心の本は未読のまま、テーマの周辺に考えを巡らせています。書評、日経新聞2019/12/21。

書評にある内田樹先生の言葉「昔はいたよね」が、温故知新を示しています。それを紡いだ記事が引き当てています。

戦前の農本主義運動が典型例だろう。だが、彼らの多くは近代の全否定や超国家主義など、極端な思想に流れ、挫折の山を築いた。

農本主義。かつて赤の島と呼ばれた離島がありました。瀬戸内海に浮かぶ、有害産業廃棄物の不法投棄で苦しめられた島です。そこの資料館に、赤いハチマキが展示してあります。「青年◯◯◯」と文字が書かれていました。思想と行動の記録です。当時の島で受け入れられていた行動なのか、一部の動きなのか、なぜそれが住民運動の歴史を語る資料館に掲示されているのか。その文脈は正しいのか。農本主義という言葉を引き当てて、漠然とした疑問を検証する手立てになりそうです。

豊島の長老は、豊島が生き残る道を農業に見出しています。ご高齢になり、豊島を離れた今となってはご自身で叶えることは不可能です。しかし、持論を持つに至った背景が非常に重要です。お国のためにと育った少年が、1945年8月15日を境に、いいえ、それよりも前に感じていたのに決して口にすることはできなかったことが現実となってしまったのです。
神様はいない。
「わし、神様は信じんの。神棚もない。正月のしめ縄もしない」

定期航路の船員を経て、生まれ故郷の田畑を継いだものの、農業では家族が食べていけない生活。農業で生きたいと35才まで働くも、とうとう働きに出ます。勤め先は農協の前身です。長老のあゆみは農業と共にです。なぜ、そうしたのか、その思想はどんなコンテクスを持つのか。農本主義を片手に、長老の思想を探求しようと思います。


朝日新聞掲載 書評

朝日新聞 折々のことば

当日、本の販売はありました。この中で本を読まれた方は何名ぐらいいらっしゃいますか?と挙手を求められることもなく、読んでいない人にも向けたトークイベントでした。


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