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男木島には梅と水仙が咲き、豊玉姫神社が見えます

立春の男木島には、梅と水仙が咲き、見上げると豊玉姫神社。2/4はドキュメンタリー映画「阿賀に生きる」の上映会でした。

28年前ドキュメンタリー映画は、ワンシーンがゆっくりと静かに、確実に場面を前へ送り出しています。舟大工・遠藤さんが丁寧にお茶を入れるシーンからの、窓辺に1輪の朝顔。素晴らしいフレームワークにうっとりとしました。今見ても、全く古さを感じさせない映像です。自主制作の域を超えた作品です。

豊島(てしま/瀬戸内海)の有害産業廃棄物不法投棄現場の跡地で、ドキュメンタリー映像を撮る場面を見せてもらったことがあります。カメラが回る始まりと終わりは1分間ずつ無音、静止です。

そんなメイキングのようなシーンも本編に組み込まれた「阿賀に生きる」。監督の偉業を、帰りの船で検索して初めて知りました。先の船大工さんが、お風呂で火傷をしたと足の裏を見せる場面がありました。感覚障害で、お風呂(五右衛門風呂だろうと思うのです)に入っているときに、火傷していることに気がつかなかったというのです。ハッとしました。それまでの場面は、高齢の気難しい職人を映し出してい、ナレーションは一言も新潟水俣病の患者とは言っていないのです。日常動作にわかるような症状が身体に現れていなくても、感覚障害は水俣病の症状の一つと言えます。未認定患者という描き方でした。

映画には3組の老夫婦が登場します。いずれもじいちゃんは、寡黙で洒脱で、技を生業としてきました。そこに、わたしは米寿を迎える父の姿を重ね、豊島の長老とその大親友はるとっちゃんを見ました。時も場所も違うのに、精神の柱を内に建てた人は似たようなところがあります。ふっと見せる表情だったり、醸し出す雰囲気だったり、それははっきりと特定することはできないけれど確かにあるもの。

映画は、撮り手のねらいに応じた出演者のセリフがなく、テレビ報道とは違います。テレビなら「つらかったです」「大変でした」という大局を映そうとします。でも、じいちゃんたちからは「あっ、この言葉は心から発している」と感じられました。豊島に置き換えながら鑑賞しました。いいドキュメンタリーです。

明日は、映画に出演して企画して、手弁当で上映会に来てくださった旗野さんについて書きます。

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