君の名は希望

僕が君を意識し始めたのは、去年の六月、夏の服に着替えた頃。僕は、よく隣町の図書館に本を借りに行っていた。しゃんとした背筋、手入れのいいロングヘアを高くポニーテールにした君を覚えていたのは、一度本の争奪戦に敗れたからだ。好きな作家の新刊がたまたま棚に戻っていた。まだ発売してから一カ月ほどなのでこれは相当運のいいことである。迷わず手を伸ばしたところ、さっと横からかっさらわれた。負けに思わずむっとしてかっさらった本人を見ると、同じ中学の制服を着た女子だった。
僕より背が高くて、小麦色に焼けた長い手足が印象に残っていた女子だ。そんなことを考えていると目があってしまった。僕は、恥ずかしくなってその場から逃げ去ることしかできなかった。
そこから、月日が過ぎ高校生となった僕は、君とまた出会うことになった。同じ中学校出身の人なんて把握していなかったし、把握してもうまく喋れるわけないと思っていた僕は高校の近くの駅に君がいたので驚いた。
図書館以来に君を見たが君はとても制服が似合っていた。スカートからのぞく健康的な脚にドキドキしてしまった。また、高校の図書館で会えたらいいな、今度はきっと話しかけようと決心して高校の校門をくぐると桜の甘い香りがした。
君と同じクラスになったことも奇跡的なのに席も隣になったのだ。
中学の時、透明人間なんてあだ名がつけられていた僕のことを君は、南沢さんは、気づいてくれていたんだ。
最近は、花曇りという憂鬱な天気だけど僕は、薄い雲の隙間から一本の細い光が差している気がした。
南沢さんは、高校でもバドミントン部に入ったけど相変わらず地味な僕を避けたりせずに話しかけてくれる。
しかし、最近は女子と一緒にいて僕から話しかけることはなくなった。毎日当たり前の日々を過ごしていても片時も離れずにいる存在、それは南沢さんだ。もやもやした気持ちを胸に毎日を過ごしていた。
ある日、体育の授業でサッカーのゲームをすることになった。僕は勉強はそこそこできるが運動は皆無だ。足を引っ張ることのないように…と思っていると体育着を派手に着崩した連中は不安そうな僕を見て嘲笑った。
クラスの女子、そして南沢さんも見守っている中、ゲームは始まった。だいたいは両チームの派手な面々がボール運びをし、シュートを決めているから運動が苦手な僕たちはボールを追いながらもボールに触らずにきていたがゴール付近にぼーと突っ立っていた僕めがけてするどいロングパスが飛んできて周りの女子たちからキャーといった歓声が上がった。飛んできたボールにあわせてジャンプしたつもりだったが空振りしてそこからはあまり覚えてもないし、思い出したくもなかった。「ねえ、今日の俊、めっちゃかっこよくなかった?」
「それな、てか空振りしたあのメガネやばくね!」
「孝介たちがせっかくいいパス出したのにあれはないっしょ」
「ねぇ、麗奈聞いてる?」
僕は、麗奈という単語が聞こえたのでその場から立ち去ろうと校舎へと走り出した。みんなの足音や笑い声の中、透き通った綺麗な声だけど誰かに伝えたいという意志を持ったまっすぐな声で
「私は、一生懸命にボールに食らいつこうとしたあのジャンプかっこいいと思うよ。」微かに聞こえた気がした。いや、微かにではなくはっきりと。いつも逃げてしまう僕にとってまっすぐな南沢さんはいつみても清々しかった。
あと、一週間で夏休みだ。何か僕から南沢さんにアプローチしなければ…。いつも肝心なところで逃げてしまう僕を南沢さんは正直どう思っているのか知りたかった。どう切り出そうか、いろいろ考えた結果、僕は南沢さんに直接図書館に土曜日行かないかと誘うことにしたのだ。体育館の入り口で南沢さんを待っていると、南沢さんの姿が見えて僕の心臓の音は、壊れたように鼓動を打った。
「南沢さん、い、いっしょに帰らない?」
「いいよ。」
少し噛んでしまったけどもう少し、もう少し…
意気込んでついに僕は口を開いた、その瞬間、
「私、田中君と最近帰れてなかったから今日は一緒に帰れて嬉しい。」
南沢さんの横顔が赤く染まり少し沈黙が続いた。
「僕も嬉しい…あの、それで、土曜日に図書館へ一緒に行かない?」
夕日が南沢さんの顔を照らしてとても綺麗だった。南沢さんがゆっくり口を開いた。
「土曜日、空いてるから一緒に図書館行きたいな。」
一言言い終わると沈黙が流れる二人の会話がおかしくて南沢さんと僕は笑いあいながら、いつからか手を繋ぎながら、ゆっくりと帰った。
土曜日はしとしと雨が降るさえない天気だったけど南沢さんと僕の表情は晴れ晴れとしていて何もおかしくないのに二人で顔を見合わせて笑った。
行きたいところがあるのと言う南沢さんについていくとあの本棚だった。
また、二人顔を赤らめて、笑いあった。
「覚えててくれたんだね。」
僕は思わず笑みがこぼれた。
「私、田中君の笑顔が好き、」
南沢さんの匂いが鼻をくすぐる…南沢さんの手が僕の眼鏡に触れて
「田中君、眼鏡外したほうがいいよ。そっちのほうがかっこいいから…」
心なしか最後のほうは声が小さかったけど、僕は今まで生きてきた中で一番嬉しかった。
次の日から僕はコンタクトレンズにした。授業中に南沢さんと目が合うことが増えてその都度二人て微笑んで、毎日が楽しいと心から思うようになった。この世界は美しくて、素直で。以前の僕はネガテイブで消極的で逃げてばかりで…
でも、南沢さんが変えてくれた。この想いを伝えなければ。
今日も、夕日に照らされた南沢さんの横顔が美しかった。きっと明日も明後日も美しいのだろう。
そして、南沢さんと呼ぶだけで心臓が高鳴る鼓動。伝えたい…
いつも最寄り駅からは二人は手を繋いで帰るようになっていたがそのあとは何の発展もない。
こんな風に手を繋ぐことができるのなら、このままあやふやなままでお互いの気持ちを知らずにいても、
いいのかな。
やっぱり…伝えたい。
夏休みも終わりに近づいた頃、大型の書店に南沢さんと出かけるこたにした。
隣町の図書館に二人で勉強しに行ったりすることはあってもそこまで遠くに出かけたことがないから楽しみだった。
海も近かったので海岸線を手を繋いで歩いた。
南沢さんが微笑みながら、
「いつのまにか私の背を越したね。」
「南沢さんと出会った頃にくらべるとすごい伸びたね。」
「なんか…出会った頃を思い出した。」
波音が僕たちの沈黙を埋めるように聞こえた。
そのときに僕は決心して口を開いた
「南沢さん、僕は南沢さんって口にするだけで希望が湧いてくるんだ。南沢さんの良いところ、例えば自分の意見をしっかりと言えるところ。まっすぐでたまに大胆でびっくりすることもあったけど、素直で分け隔てなく僕みたいな地味で暗い人をしっかり認めてくれるところ。まだまだたくさんあって…!
えっと…。麗奈ちゃんのことが好きなんだ。」

波音が聞こえる
一秒がとても長く感じて苦しい…

波音に紛れて、でも透き通った綺麗な声で

「私も直君の一生懸命なところとか、優しいところとか、笑顔とか…好きです。」

もっと、今までよりも 僕たちは手を強く握りしめた。