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【訳詩】 Henry Wotton, “De Morte”

ヘンリー・ウォットン(1568–1639)「死に就て」

原文

Man’s Life’s a Tragedy:—his Mother’s Womb
(From which he enters) is the tiring Room:
This spacious Earth the Theater; and the Stage
That Countrey which he lives in:—Passions, Rage,
Folly, and Vice are Actors:—The first cry
The Prologue to th’ ensuing Tragedy:
The former Act consisteth of dumb shows;
The second, he to more Perfection grows;
I’ th’ third he is a Man, and doth begin
To nurture vice, and act the deeds of sin;
I’ th’ fourth declines; I’ th’ fifth, Diseases clog
And trouble him:—then Death’s his Epilogue.

Source:
Wotton, Henry. Poems by Sir Henry Wotton, Sir Walter Raleigh, and Others. Edited by John Hannah. William Pickering, 1845.

翻訳

人の一生というのは悲劇である。母の子宮は
(人はそこから入場する)退屈な部屋であり、
この広々とした地は劇場であり、その舞台は
その人が生活する国である。熱情や、激怒や、
愚鈍や、悪徳が役者である。最初の泣き声は
後に続くことになる悲劇への前口上であって、
はじめの幕は無言劇によって構成されており、
第二幕では、人はより完全なものへとなって、
第三幕になると一人の人間となって、悪徳を
育てはじめては、罪の行いをするようになる。
第四幕では堕ちてゆき、第五幕では病が人を
妨げ、悩ませる。そして死が納め口上となる。

コメント

過去に類を見ないほどに演劇文化が発展した初期近代のイングランドを生きた劇作家や詩人たちは、世界を大きな劇場に見立てる、いわゆる世界劇場(theatrum mundi)という比喩的な考えを多く表現した。例えば、この種の伝統において最も有名と言ってよいだろうシェイクスピアの『お気に召すまま』での以下の台詞、

JAQUES. All the world’s a stage,
And all the men and women merely players;
They have their exits and their entrances,
And one man in his time plays many parts,
His acts being seven ages. (2.7. lines 139–43)

Source:
Shakespeare, William. The Riverside Shakespeare. Edited by G. Blackmore Evans, Houghton Mifflin, 1997.

では、人はみな役者に過ぎず、決まった役を演じて一生を終えるに過ぎないという内容が、憂鬱なトーンと共に長々と(この後さらに20行以上にわたって)語られる。

同様の主題を扱った詩で知られているものとしては、ウォルター・ローリー(Walter Ralegh)の「我らの人生とは何か?」(“What is  Our Life?”)がある。

What is our life? A play of passion,
Our mirth the music of division;
Our mother’s wombs the tiring houses be,
Where we are dressed for this short comedy;
Heaven the judicious sharp spectator is
That sits and marks still who doth act amiss;
Our graves that hide us from the searching sun
Are like drawn curtains when the play is done.
Thus march we playing to our latest rest—
Only we die in earnest, that’s no jest.

Source:
Williams, John, editor. English Renaissance Poetry: A Collection of Shorter Poems. New York Review, 2016.

ジェイクイズの台詞と似たメランコリーな態度も一部見られるが、ローリーの詩では、それはむしろ現世蔑視(contemptus mundi)の結果となっている。此の世での振る舞いは天から神によって見られているのだから正しく生きよ、と、語り手は読者に対して知恵を与える教育者の役割も担っている。人の一生を「短い喜劇」(“short comedy” line 4)に喩えるこの詩が、わずか10行という短さで終わるという構成は、ジェイクイズが退屈な人生の有り様をだらだらと開陳する台詞と対照的であり、同一のアナロジーに基づいていても両者がかなり異なっていることが分かる。

シェイクスピアやローリーと比べればほとんど知られていないウォットンの小品も、この系譜に位置付けられる。人の発達段階を劇の幕の構成に擬えるという点ではシェイクスピアの例に、短い詩行のなかで道徳的問題に言及するという点ではローリーの例に似ているが、それでもウォットンの詩にはそれなりの個性がある。人生を喜劇と考えるローリーに対して、ウォットンの詩の語り手は「人の一生というのは悲劇である」(“Man’s Life’s a Tragedy” line 1)と断言する。ローリーのように<問い→答え>という形式もとらず、文字通り問答無用で話は進んでいく。現世で人が良い行いをする様子はほとんど描かれず、罪と病に犯されながら死を迎えることが説明される。現世蔑視がより厳格に表明されるわりには、救済はもちろん、死後の話題すら触れられない。

三者を比較して読めば、おそらくウォットンの詩は最もつまらない。ジェイクイズのぐちぐちとした台詞にはユーモアのなかに鋭い表現が混ざっているし、ローリーの詩では教訓性とエンタメ性がうまく共存しているが、ウォットンの詩の場合、ひたすらに単調な悲観的内容が淡々と垂れ流されている。とはいえ、それもまた詩の価値として理解することもできるだろう。希望を見出すことのできない此の世が語り手にとってつまらないものでしかないのなら、語り手の態度はつまらなさそうにならざるを得ない。であれば、つまらなさそうに語ることで、詩人は人生のつまらなさというこの詩のテーマに貢献しているのかもしれない。もっとも、ウォットンが詩人としてはアマチュアであったことを思えば、単に力量の問題とも考えられるが。

記事見出し画像:
Esaias van Hulsen, Repraesentatio der furstlichen Aufzug und Ritterspil

#文学 #英文学 #詩 #英詩 #翻訳

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院生です。主な関心は初期近代(16–17世紀)の英詩。

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