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口実がないと人を誘えない僕が、大分で10年ぶりに泣いてケンカした話

「あんなとこいいな」「行けたらいいな」

何かをしよう、どこかへ行こうと思いついたとき。その瞬間、僕にとっての「旅」は楽しさのピークを迎えます。

その先、実現に向けて段取りを組む中で徐々にテンションは下がっていき、出発前日には「飛行機欠航しないかな・・・」なんて思うくらいには後ろ向きな気持ちになってしまう。

しかもタチの悪いことに、旅に行ったら行ったで結局楽しんでいるので、事前のもやもやとした時間は本当に無駄でしかないんです。根本的に旅に向いていないんでしょう。

ーーと、そんな僕が今回「大分で会いましょう。」という大分県のPRプロジェクトになぞって「普段もっと話したいと思っている人を、“大分に行く”ことを口実に誘う」企画を繰り広げることになりました。

大分・佐伯の様々な「素敵な人たち」「美味しい食」「一味ちがう場所」をめぐり、取材しながら、大切な人たちとのかかわりを深めていく。

そんなふうに誰かと旅をすることで見えてきたのは、何よりも「自分自身」だった、というお話です。

誘うのってダルいときない?

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普段もっと話したいけど話せていない、そんな相手っていませんか?

時間がなくて、機会がなくて、きっかけがなくてーー。いろんな理由はあるにせよ、僕はこう思うのです。

「それって、結局その相手と向き合うことから逃げているだけなんじゃないの?」

決して話したくないわけじゃない。本当は話したいんです。でも、それって自分の独りよがりなんじゃないか、相手にとったら迷惑なんじゃないか。

「話したいけど話せていない」の裏にはそんな逡巡があるけれど、結局のところ自分が相手にとって価値のある存在であってほしいというわがまま、あるいは価値がないことを突きつけられることへの恐怖でしかないんだろうな・・・。

そんなことを考えていたとき、今回の旅企画をやることになったのです。

「あ、これはいい口実だ!」そう思って誘った2人のこと

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人を誘うとき、「ちょっと話そうよ」と言って気軽に誘えるのって本当にうらやましいんです。「自分」というコンテンツに自信がないとできないことだから。

だから、僕は「おいしいもの食べに行こう」「シーシャでも吸おう」そんな口実がないと人を誘えません。

そんな僕にとって、今回の旅はまさに「話したい人と話す」とてもすてきな口実になったのです。

誘ったのは、「料理家」「事業家」「猟師」などなど、たくさんの顔を持つ井上豪希さん(33歳)と、「リバ邸」というシェアハウスを運営している片倉蓮さん(24歳)。

同世代の井上さんはいろんな人を夜な夜なホームパーティーに集めては腕前を披露しているコミュ力の鬼だし、片倉さんは30を超えるシェアハウスを運営しているこれまた海のような顔の広さを持つ才気溢れる若者です。

2人とも、何度か会っていて不思議と通じるものを感じながら、なかなか深い話をすることがなかった、近くて遠い存在でした。

距離を詰めることができていなかった理由、それはこの「通じる感覚」が僕の一方的な勘違いだったら悲しいから。今回の旅も「口実であること」を最初に伝えて誘ったので、「もはや口実じゃないなあ」なんて思いながら、2泊3日をともに過ごすことになったのです。

旅の力、食の力、心の壁がとろけていく夜

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旅した先は、大分県の中でも特に魚の美味しさが有名な佐伯市。その美味しさの秘訣は「丁寧すぎるくらいに丁寧な魚の扱い」だと、現地の漁業関係者の方が自慢げに教えてくれました。

市場でセリにかかる魚たちの並べ方からも伝わってきます。

その真価を舌で味わうことになったのは、2日目の夜に訪れた寿司屋「narumi」でした。

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手間暇かけたこのお寿司。

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笑顔が止まらない食卓。

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舌がとろけると同時に、心もどんどんとろけていく夜。

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お酒も・・・

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進む!!!!

寿司のあとは静かなバーで語り合い・・・と思っていたのですが、気づけばいつの間にか本音で語り合い、つかみあって激しく口論、号泣するほどにぐちゃぐちゃに溶け合った夜になってしまったのです。

逃げるな、向き合え、さらけ出せ

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口論になった根本の理由は、「僕が心を開いていない」ことだったな、と今にして思います。なんだかわかったようなことを言いながら、でも本当にわかりあうことなんてできないと思ってしまっている。

「どんなに本音で話をしているつもりでも、相手とは生い立ちも育ってきた環境も、何もかもが違うのだから“わかる”なんて傲慢だ」

そんな言葉に逃げながら。

でも、本当はわかりあいたいと思っているし、“わかる”と言う/言われることで心が軽くなることだってある。

この夜、不意の言葉で2人を傷つけてもしまったし、逆に彼らが涙を流しながらぶつかってきてくれたことで自分自身の「逃げ」にも気づかされ、僕も普段話してこなかった孤独について話すこともできました。

これはきっと、「旅」を口実にしたから。そして、丁寧に仕上げられた食の力なんでしょう。誘ったときは、こんなことになるなんてまったく思っていなかったけれど、この2人と大分で会えてよかった。

いつまでも触れることを恐れていては得られないものがある、と気づけた僕はこれから少しは勇気を出せるんじゃないかな、なんて思っています。

「逃げるな、向き合え、さらけ出せ」

今回の企画の発端になった「大分で会いましょう。」についてはこちら。

プロローグと2人の記事はこちらから。



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