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夢を撃ち抜けなかった瞬間に ep.1

    これまでの人生で最も楽しかった時期というものがあるとすれば、自分にとってそれは中学3年生の1年間だった。クラスの男子は皆仲が良く、毎日学校に行くのが楽しみですらあった。今では到底信じられないが、当時の自分は所謂スクールカーストの上位に位置していたと思われる。少なくとも常にクラスの中心にいたことは間違いない。まだ自分が”あちら側”の人間だと信じて疑わず、人並みの青春を謳歌していた頃の昔話だ。

    その中でも特に印象に残っているのは、学年集会でバンド演奏をしたことだ。ことの始まりは教師陣からの提案だった。曰く、中学校生活最後の集会を華やかなものにすべく、生徒の中から有志を募り出し物をさせたいということらしい。今ではどうか知らないが、少なくとも当時の母校は屋上に入れず、生徒会に大した権力はなく、謎の部活動も存在しなかった。これが高校だったら……と思っていた当時の自分は阿呆であるが、ずっと”遊び”のない学校生活だったために、教師陣からのこの提案は少し意外に感じられた。

    有志とはいうものの、我がクラスでは担任教師による一方的な指名が行われ、自分ともう一人男友達が抜擢された。曰く、「お前ら面白いから何かやれ」という。当時の担任教師は中年の女性で、時に厳しく、情には厚く涙もろい、アニメや漫画に出てくるような熱血教師だった。それを演じ悦に浸っているように思えるところは少し苦手であったが、彼女のことは概ね好きであったし、何より内心昂ぶるものがあった。中学校生活の最後に何かを残せるのではないかと思ったのだ。その頃はまだ、自分が”何者か”になれるつもりでいた。組むことになった友達が当時どのように思っていたかは分からないが、何にせよ浮かれていては周囲に、具体的には女子に格好がつかない。お互い不承不承の体で”有志”を引き受けた。

    指名を引き受けたものの、何をやるというお題は用意されていなかった。無いならば自力で考えなければならない。発想が貧困だった自分達は、最初から漫才かバンドかという二択を迫られていた。素人レベルの漫才ならばなんとか作ることが出来たかもしれないが、盛大にスベったその時は中学校生活の最後に最悪な思い出を刻みつけることになる。逆にバンドはたとえ下手くそであっても、とりあえず見せかけだけでも演奏が成り立っていれば、それなりのリアクションが得られるように思えた。とはいえ自分としてはどちらに決まっても満更ではなかったが、友達は「漫才は絶対嫌だからバンドにしよう」と言う。彼は周囲から常に一目置かれていて、賢く、運動が出来、ついでに顔も良かった。そんな彼が言うならバンドの方がいいだろうと思い、かくして我々は楽器を手にしてステージに立つことを決めた。最後の学年集会、即ちライブ本番1週間前のことである。

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