自分が気持ちの良い働き方は?日本酒とどう向き合うか

このnote、ほとんどどこにもリンクを貼らないので、すっかり私の思考だだ漏れで、独りよがりの独り言noteになっている。でも、一旦それでいいや。多分数カ月後とかに見返して、mixiの日記みたいに「闇が深い」と思おうが、気持ちを言葉にしないと、今この時間が無駄になる。

カナダに行く前、カナダにいるとき、カナダから帰ってきてから、ずっと日本酒との向き合い方を模索している。

傍から見たら、「あいつ、日本酒やるやるって言って、めちゃめちゃ嘘つきじゃん」って思われているはず。うん、自分でもそう思う。いままで「私は日本酒やるんだ!」って何度も言って、周りに相談しては夢破れてきた。突き抜けた努力をしていないだけかもしれないけど、(自分が突き抜けていると思う)その努力ができないことに、なにか自分のやりたいことへの緒(いとぐち)があるかもって思い、ずっと自問自答している。

カナダに行く前も、いるときも、帰ってきてからもずっと、日本酒やるんだ!日本酒でワクワクすることするんだ!私が先陣を切って最高に面白いことしてやるんだ!って思ってきた。

そうやって来たけど、全然話を進めることはできなかった。

カナダから帰ってきて半年を目前にしていたので、冬になる前に私は日本酒で何を達成したいのかを自己分析してみた。そのときは「日本酒で有名になりたい」みたいなところがあぶり出されて、「まぁ自分って目立ちがり屋だし、承認欲求も強いから、自分の深層心理だわー」とか思ってたんだけど。私も、私を取り巻く環境も、毎日変化していくわけで、たった数カ月なのに、いろいろと自分の心境が変わってしまった。

一番変わったことに、家族との関係が大きい。

私は、いままで家族のこと、心の底から信用できなかった。自分にとっての闇だった。二十ウン年間、なにかするたびに怒鳴られて育って、(実際の時間はどうだったか知らないけど)家族で笑っている時間よりも、怒られている時間の方が長かったんじゃないか?ってくらいに窮屈で、辛かった。

24,25歳くらいのときは、母親から電話がくることが恐怖で、昼休みに電話がかかってきても出れなくて、トイレの個室に駆け込み、サイレントで鳴り続ける携帯を握りしめて泣いたりしてた。私の仕事の状況なんて理解されなかったし、他愛のない話をするのにもめちゃめちゃ神経を遣ってた。少しでも離れたかった。

でも、ここ最近、兄を”接着剤”に、関係性が変わってきた。兄が結婚するのだけど、家族なんて省みなかったあの彼が、急に家族に優しくなって、みんなの心をほぐした。一気に仲良くなった。

嘘みたいな話だけど、本当に家族が仲良しになって、私も家族と過ごす時間が幸せで尊いものに感じるようになった。まじで。

そんな風に変わったもんだから、なんか毎日が満たされているように思えてきてしまった。自分では最初あんまりピンときてなかったけど、周りの人に言われて、自分でも気がついた。

そしたら、仕事へのスタンスが変わった。

いままでは、家族にある意味承認されない部分が、「仕事でなんとかのし上がりたい」という承認欲求になって顕在化して、承認欲求モンスターになっていた。でも、それが家族に満たされるようになったもんだから、仕事への承認欲求が減ってしまった。

承認欲求が減ると、自分の幸せの定義がどんどん変わってしまった。今あるものを、受け入れられるようになって、「今私はとっても幸せだ」って思えるようになった。

いままでは、「仕事でのし上がるぞ!そこで誰かを傷つけてしまう事があってもやむなし!突っ走るぜ!へへ」みたいな感覚だったんだけど、「現状、仕事で関わる人もいい人だし、自分は業務委託とはいえ仕事があるし、良いなと思えるサービスに関われるし、時間にも余裕があるし。こういう生き方もあるんだな。」って思えるようになってしまった。

しかも、ネガティブさが少し解消されて、楽観主義的な気持ちが芽生えてきて。自分の幸せな部分と、頑張らなきゃいけない部分を客観視できるようになった。まぁまだ得意ではないけど。

恵まれているのは、もう上にも書いたけど、今私が問題なく日々を過ごしていること。頑張るべきところは、自分の理想のカタチが決まっていないこと。努力すべきところがどこかわからないこと。

どこにアクセル踏むべきかわからず、もがきながらも、日々の幸せを噛み締めている。できないことだけに目を向けるんじゃなくて、ちっちゃくてもできること・持っているものに、ちゃんと幸せを感じられる。

なんだろう。この感覚。歳のせいなのかな?

でも、ほんと、昔は今やっている作業みたいな仕事を「作業みたいな仕事、ホントやりたくねぇ!私はもっと別の”上のレイヤー”の仕事をできるように、脱するぞ。」とか思ってんだけど、

「冷静に、今このサービスにおいて求められていることを、ひたすらにやろう。それが作業だとしても、私がやることで価値が発揮できるなら、何でもやろう。なぜならこのサービスが良くなってほしいから」という感覚。

なんだろう。ほんと歳なのかな。

きっと、日本酒じゃなくても私は幸せに生きていけることが、わかってしまった。

でもね、それでも日本酒はいいなって思うし、「自分が関わって最高だった、この仕事を誰かに伝えて、広めていきたい」って思えるサービスが日本酒だったらもっといいだろうなってくらいには、やっぱり日本酒が好きだよ。

ただ、ワクワクした未来を私が起業してやっていくのは、もしかしたら向いてないから、それ以外の道も探ってみたいなって思うんだよ。

お酒が弱いからプロ消費者にもなれないし、日本酒の造り手には尊敬の念が強すぎて自分がなることは想像できないし、日本酒を飲食店でサーブすることや酒屋さんの店頭に立つこともピンと来てない。それでも自分が、”日本酒を売る”という、どこかには関わっていたいと思うんだよ。

まだまだどんな道がいいかは、自分でもわかんないから、これからも探っていこうと思う。


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