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技術者たちの(ディ)スタンス(3)

## その3

 終業のチャイムがなった。咲舞はメーラを確認し、特に急ぎでもない返信を書き始めた。ざっと文章を見なおした後に、送信のボタンを押す。10分位は過ぎただろうか。ノートPCの電源を落とし、周りが席を立ち始めたのを確認してから帰り支度を始めた。業務が忙しいわけではないのだから、さっさと帰れば良いのだが、チーム内で一番年下の私が早々と席をたつのは、少し気兼ねする。こんな些細な事を気にするようになったのは、社会人としての習性がついたということなのか。

「お先に失礼します」と誰に向けるでもなく立ち上がると、伊吹がほぼ同時に席をたった。伊吹が定時であがるのは珍しい。颯爽と咲舞の背中を通り過ぎていった。こちらもエレベータホールまで追いかけ、少し混んでいる同じエレベータに乗り込んだ。

「珍しいですね、先輩が定時で帰るのわ」と、100点満点の笑顔で話しかけると、伊吹はスマートフォンから目を上げてこちらを見た。

「ああ、そうだね。このあとイベントがあるから」

 イベントですって?咲舞は少し動揺している自分を確認した。ランチの悠乃との会話が大脳のメモリ領域の表層に上がってきたからだ。中途の階から大勢の人が流れ込んできた。いけない――心と身体の体勢を建てなおさなければ。

 1Fでエレベータの扉が開くと、咲舞は周りの人に押されながら降りた。先に降りた伊吹が半身で立止り、こちらを待っていくれた。少し小走りで、横に並ぶ。

「イベントって何ですか」

「うーん、ちょっとね」

 ここで引くわけにはいかない。

「誰と行くのですか?社外の人?」

 伊吹が会社の人とプライベートで出かけることは想像できない。咲舞が見つめると、伊吹は少し困ったように答えた。

「実はね。社外の仲間がちょっとしたイベントを開催するんだ。まあ定期的に開催しているようで、僕もよく参加してるから」

 二人で並んでビルの外に出た。天気は曇で少し肌寒い。外気温とは反対に、咲舞は体温が上がっていくように感じた。

「あのーイベントってあれでしょうか。あれというか、どこで開催するのでしょうか」

 なんとも要領の得ない質問である――我ながら情けない。

「今日は六本木かな。良い会場が抑えられたらしい」

 六本木という単語が起爆剤となり、咲舞の感情は爆発した。もうこれ以上は耐えられない。

「先輩!」

 伊吹は少し驚いたようだ。伊吹の正面に回り込み、懇願するように言った。

「私も連れて行ってくだい」

「えっ、いいけど。君、ハッカソンに興味があるの」

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