2017年4月27日〜

脚本家小山さんと打ち合わせ。
 小山さんとの出会いは、2011年。当時、ギャラクシー賞受賞記念で『モテキ』の大根監督が日藝に講演に来てくれた時のことだ。まだ一年生の僕と院生の小山さんだけがなぜかぽっかりと空いていた最前列で大根監督の話を聴いていた。講演終了後、僕は大根監督のもとにダッシュで向かって、「助監督でもなんでもいいんで現場いかせてください!」と連絡先を渡した(結果、音沙汰はなかったが)。その後ろから、小山さんが分厚い封筒を大根監督に渡した。「脚本6本ぐらいあるんで、原作で使ってください」と(確かそっちも音沙汰がなかった)。大根監督が去った後、「きみ、やる気あるね」と小山さんに声を掛けられたのがはじまり。
 そんな感じで出会った小山さんと僕のなかでは、クレッシェンドで作品をやるのが夢の一つであった。だから、今回、プロデューサーの利光さんから「脚本家はどうしますか? 監督本人でもいいですが、初めての長編だから誰か立てた方がいいかと思って」と提案された時、迷わず小山さんにお願いした。
 脚本作業は、相当、苦しんだ。初稿があがったのが6月末。しかし、しっくりこない。映像制作会社でCMやPVの仕事をしていた僕自身、映画を離れていたこともあり、小山さんもプロの現場で仕事をする中で、二人ともうまくやろうということに慣れてしまっていた気がする。小山さんがヤングシナリオ大賞に入選した時の『オナラまで、愛して欲しくて三千里』を読み直すと、その熱さにあらためて胸を打たれた。うまさよりこの熱さで一緒にやっていきたいと小山さんとも話した。連日、朝方までファミレスで直していた。何度も稿を重ねて、12稿でようやく撮影準備稿となった。辛かったが自分から生まれた脚本とこんなに真剣に向き合えたことが楽しかった。思い出深いのは、打ち合わせの後で小山さん行きつけのホットヨガに行ったこと。昼間から男二人でホットヨガをやる人妻に囲まれていた。


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