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#64ズルをしてでもバスに乗り込め!ノーベル賞編(後編)


こちらは#63ズルをしてでもバスに乗り込め!(前編)のつづきです。


フランシス・クリック

フランシス・クリックは、ノーザンプトン近郊のウェストン・ファヴェルという小さな村で生まれ育った。小さいころから科学へ興味を抱き、読書が好きな少年だった。14歳のときロンドンのミル・ヒル高校に奨学生として入学し、そこで物理学と出会った。そして、21歳の時ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジで物理学の修士号を獲得した。

ロンドン大学で物理学を専攻した彼は、旧態依然たる実験室で圧力と高温を加えたときの水の粘性変化を測定する研究に従事させられた。第二次世界大戦が終わり、ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所に所属できたのは良いが、来る日も来る日もヘモグロビンというタンパク質を馬の血液から取り出し、その構造を解析する研究をすることとなった。研究所ではクリックの指導教官をマックス・ペルーツなる人物が行っていた。


英国医学研究機構

このマックス・ペルーツなる人物は英国医学研究機構の委員をしていた。英国医学研究機構は研究者に研究資金を提供している公的機関である。そのため、研究機構は研究資金を提供するかわりに、研究者に対して研究成果のレポートを義務付けている。その研究結果レポートの内容如何で資金提供継続の可否が決められる。

ここで提供される研究成果レポートは、一般に公表されることはない。学術論文ではないためだ。サイエンスやネーチャーなどに掲載される論文は学術論文で、ピア・レビューと呼ばれる方法で掲載論文採択の決定を行っている。

ピアとは同業者ということであり、専門誌の編集委員会は、その分野の専門家に論文審査を依頼する。依頼された専門家は、論文の価値を、新規性、実験方法、推論の妥当性などについて判定し、編集委員会に採点結果を返す。

研究者にとって論文が掲載されるかは死活問題だ。論文の掲載によって発見の優先権や、昇進・グランド調達などが決まるからだ。そのため、論文は質はもとより量が重要になる

つまり、研究者の業績とは論文の数といっても良い。また、研究の発見や発明の権利は、一番先に論文を発表した者のみに与えられる。わたしたちが、エジソンやベルやワットを知っているのはそのためだ。

ロザリンド・フランクリンは英国医学研究機構に、自分の研究データをまとめたレポートを年次報告書として提出した。そして、英国医学研究機構の委員をしているマックス・ペルーツにレポートの写しが渡り、彼はそれに目を通した。自身がレポートを確認しピアレビューの役割を終えると、その写し(レポート)は破棄されることなくある人物の手元に渡った。

そう、フランシス・クリックである。

彼が手にしたレポートには生データだけではなく、ロザリンドフランクリン自身の手による測定数値や解釈も書き込まれていた。DNA結晶単位格子についての解析のデータが明記され、これを見ればDNAラセンの直径や一巻きの大きさ、そして、その間にいくつかの塩基が階段状に配置されているかが解読できた。

そして最も重い意味を持つ記述があった。

「DNAの結晶構造はC2空間群である」と。

C2空間群とは、二つの構成単位が互いに逆方向をとって点対称的に配置されたときに成立する。クリックの心には、タンパク質ヘモグロビンの結晶構造がC2空間群をとっているという理論の負荷がしっかりとあった。

なぜなら彼はヘモグロビンの構造解析に飽き飽きとしていたからだ。同時にこのときクリックに天啓が訪れる

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「二本のDNA鎖は、反対方向を向きながら互いに絡まり合っている!」

データはたちどころにそう解釈された。このときAとT、GとCの塩基対は、鎖の走行と90度の平面を取ってぴったりとDNAラセン内部に納まることになる。反対方向に対合するDNAの複製も互いに逆方向に起こる。マリスのPCRもこの上で成立する。

遂にすべての鍵がそろったのである。

こうして確証を得たワトソンとクリックは、たった1000語程度からなる非常に量のない論文を「ネイチャー」誌に送った。


ノーベル賞

論文投稿から9年が経った1962年、ストックホルムで開催されたノーベル賞授賞式の壇上に、この発見を成し遂げた三人の科学者の眩いばかりの姿があった。

その名前は、ジェームズ・ワトソン、フランシス・クリック、そしてモーリス・ウィルキンズだ。彼らはDNAラセン構造の解明に対してノーベル医学生理学賞が授与された。

そして、同じ壇上にはタンパク質の構造解析への貢献を認められたマックス・ペルーツの姿があった。彼にはノーベル化学賞が授与された。

誰もが気になるロザリンド・フランクリンの姿はそこにはない。

彼女はこの四年前の1958年4月、ガンに侵され37歳の若さでこの世をさった。一説によれば、X線を無防備に浴びすぎたことが、若すぎる死の原因ではないかといわれている。


ズルをしてでもバスに乗り込め!

社会では、個人の裁量によって多くの流れが本流から支流へと移ってしまう。その一つ一つを裁き正義を行使したところで問題は解決することはない。しかし、本来正当に評価されるべき人物が評価されずに歴史に消えていくことについては悲しく思う。

また、大きな事故はわずかなヒューマンエラーが3つ以上重なったときに起こるという。

今回では、ウィルキンズが彼女と険悪な関係でなく、ワトソンとクリックがウィルキンズと親しくなく、マックス・ペルーツがクリックの指導的立場になく、彼が英国医学研究機構の委員でなければ、起きなかっただろう。

しかし、そのすべてが一つに繋がり合成し集合体となって、世紀の大発見が起こった。もしかしたら、ロザリンド・フランクリンがDNAの構造解析が完了したとしても今回の事実は彼女によって導かれなかったかもしれない。

それでも、彼女の論文によって、別の研究者が同じところに辿り着いたことに間違いない。

誰が一番乗りするかが変わるだけだ。

一番乗りしたものにしか得られない聖杯を恨むべきかは難しい問題だ。

それでも、栄冠が独りに集中しないのであれば、皆で無意識に協力することができるのではないかと思う。誰かの血肉を注がれた研究結果を、自己利益の糧として業績を上げ、名を遺すことが本当に誇られるべきことなのだろうか。

しかし、時代を遡り真実を紐解くと、このようなことは五万とある。

なぜなら、歴史に刻まれるのは輝かしい業績のタイトルのみなのだから。

彼らは決して自分の本心をやすやすと語ることはないだろう。ロザリンドフランクリンの研究を知ったワトソンがウィルキンズを唆し情報を仕入れ、その内容をクリックに話し、その情報を知ったクリックはマックス・ペルーツに働きかけ、彼女のレポートの写しを入手できるようにしてもらった。

このように考えればすべての辻褄が合い、その報酬として自分たちの研究を共同的なものとして扱い山分けをする。時代背景的に女性が不当に評価されていたことを考えると、彼女の成果を彼女のものだけとは考えられなかったのだろう。

そして、量が重要視される論文において成果を一番乗りするためにスピードを重要視したためにネイチャーに2ページ程度(1000語程度)になってしまったのなら合点がいく。

しかし、これらは私的なゲスの勘ぐりでしかなく、全くの証拠不十分だ。

つまり、彼らはそのようなことをしていないし、思ってもいない。ただ、わたしはたまらなく理不尽を感じ最悪のケースとして述べたまでだ。公式に彼らが話していたのは「当時はそのようなことが大変なことだとは思わなかった」とか「わたしの立場からすれば、なんらおかしなことはない。ただ、今思えば浅はかだった」など曖昧な罪の意識などない発言しかない。

グレーゾーンと呼ばれる曖昧な解釈を利用し、罪を含んでいても裁かれないエッジを歩き、最短ルートで利益を得る。昨今のビジネスでは、法を犯さないギリギリのエッジを行くことを技術(スキル)だとか、テクニックなどとして株主総会でも声高に語る経営者までいる。

これは、「タネさえ見つからなければ、これは超能力だ」とホラを吹く詐欺師と同じ理論のように感じる。目的と手段の入れ違いは、やがて感覚が麻痺し健常者の価値観を失う。どこまでも不快で悲しく空虚感だけが残る。美しい世界とはどこにあるのだろう。

今は亡き、ロザリンド・フランクリン氏を偲んで。


おわり


参考文献「生物と無生物のあいだ 福岡伸一著」

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no.64 2021.4.30


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