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#81 ファンを隔てる透明な壁

これは#80 マネーボールのつづきです。

わたしは、またこの屋敷に足を運ぶことになった。

トーマス氏は快くわたし来訪を了承してくれた。執事のセバスは前回と同様に玄関前までわたしを出迎え屋敷へと招き入れた。

屋敷の中央ロビーを右に進み来客用の部屋へと向かって歩いていると、前方からトーマスのような人物がこちらへと向かってくる。

しかしトーマスのようなバイタリティの溢れる精気というより、その男は森の中にいるときのような包み込むオーラを纏っていた。

おそらく彼がサンデル氏だ。わたしは悟った。前方のサンデル氏に執事のセバスが気がつくと足を止めた。

「これはサンデル様。いかがなされました」

「セバス、そちらの方はどなたですか」

「トーマス様の御客人でこの町のアイオーンズの球団のオーナーをされているベン様です」

「ほぅ、この方が・・・」

サンデルは何かを見透かすように言った。直感的にわたしは何か不利益な言葉を言われる気がして先に話しだした。

「はじめましてサンデル・スミスさん。わたしはベン・ルドウィック。先ほどセバスさんの言われた通りアイオーンズの球団オーナーをしております。先日、スミス兄弟に球団経営の方針についての御相談をさせて頂いたのですが、その時にあなたは急用だったようでお会いできなく残念でした」

「それは残念でした。それで今日はトーマスにどのような相談を?」

サンデルは言った。

「先日の助言の感謝と更なる向上のための相談をと思いまして・・・」

「そうですか。望む結果が得られたのなら良かったですね。どんな助言かは存じ上げませんが、トーマスは利益優先になり過ぎることがあるので、くれぐれもやり過ぎにはご注意をして下さい」

草原に駆け抜ける風のように涼しげに言った。

「いえ、そんなことはありません。良い事はあっても悪い事なんて何一つありませんから」

わたしはサンデル氏に言った。

それを聞くとサンデルはわたしとセバスを後にして自室に向かって歩いていった。わたしは、セバスの後を歩き来客用の部屋へと入った。

デジャブのように、前回と同じく使用人が紅茶を運んでくれ、わたしはそれを口に運び、5分後にトーマスが部屋の扉を開けた。

「やぁ、ベンさん、お久しぶりです。良かったですね良い結果か出て。」

トーマスは両手を広げてわたしを包み込みハグをした。傍からみれば私たちは親友のように見えることだろう。

「これはこれはトーマスさん、お久しぶりです。あなたのお陰で球団が楽になりました。本当にありがとうございます」

スキンシップのハグが終わった後、わたしは深々と頭を下げた。

トーマスは、大したことではないと言った。そんなことよりも今回お見えになったのは別の理由でしょうと、わたしの心を見透かすように言った。

「なんでも構わす言って下さい。力になりますよ」

その言葉にわたしは本音をトーマスに伝えた。

「あなたのお陰で今まで通りアイオーンズの球団を経営できる資金を獲ました。

ですが、それだけではチームを強くすることはできません。欲深な願いではあるのですがやはり優秀な選手を何人か獲得し、良い監督も必要なのです。

そう考えると資金が全く足りません。ファンのためにも何とかなりませんか」

わたしの悲痛な訴えにトーマスは繰り返し頷いた。

「つまりあなたはチームを最短で強くしたいわけですね。たしかにそれを叶えるには大変な痛みをともないますが、方法はなくはありませんよ」

無謀な願いに方法はなくはないとトーマスは言った。わたしは過去の栄光を取り戻したい一心だった。

そして、わたしが望むようにこの町のアイオーンズファンも同じ気持ちだと思っていた。またトーマスが今度は何を提案するのだろうか内心楽しみになっていた。

「そうですね。強いチームを作るには良い選手は必要不可欠ですね。ならば、優秀な選手をチームで雇いましょう」

「簡単に言いますが、スター選手は年俸数十億円とします。うちの球団でも一人あたり平均2億円の年俸があります。仮に10億円のスター選手を一人獲得するのにうちの選手4人をリストラしなくてはなりません。これではベースボールをすることができない」

「いえ、いま所属している選手はそのままで、新たに2人ほど投手と強打者を雇う場合、1人10憶円だとして、20億円あれば可能ですよね。そういう話です」

「しかし、前回球場の命名権で年間5億円増額したとはいえ、ない袖は振れません」

「大丈夫です、秘策があります」

トーマスは笑顔でいった。そしてその方法を細かく説明してくれた。その内容を文字に起こして、帰りに書類としてセバスを通して渡してくれた。

わたしは屋敷を後にする前に、サンデル氏に話を伺おうかと考えたがやめることにした。せっかくの提案が反対され、やる気をそがれることが怖かったからだ。


彼の提案はこうだ。

まず球場の全てのカテゴリーの入場料を現在よりも1割増しにすること。

次に球場の座席3割を新たに富裕層向けのスカイボックスとして設け、その一部をスポンサー枠としてスポンサーに年間パスポートとして提供すること。

また、球場のホームベース付近に新たに広告スペースを、看板・座席・入場口の広告スペースを拡充すること。

所属選手には写真撮影やサインの禁止し、球場内のショップでそれらを販売することなどだ。

これらを実行してどのような効果があり、どのような不利益があるかは、わたしには皆目見当もつかなかった。

そのため、わたしはオフシーズンにそれらすべてを行った。スカイボックスを設置するために多くの予算が必要だったが、球場内の広告スペースが思いのほかよく埋まりその予算を上回る収益を得ていたので問題はなかった。

そして、フリー移籍で38歳の名キャッチャーを年間11億円で獲得し、35歳の投手も年間9億円で契約した。幸運なことに今期は育成選手の中にも生え抜きで1軍登録できるルーキーが2名いたので戦力は強化できた。

また、監督もリーグ優勝を経験している野心的な若い監督を招聘できこちらも上手くことが進んだ。

そんなことを聞きつけてかマスコミの取材も後を絶たず、今期のアイオーンズは一味違うと周囲がざわついた。

わたしは、内外の反応に心が躍り、今期はいけると確信した。工事が完了したスカイボックスは球場のバックスタンド上層にあり、全面ガラス張りの高級感あるつくりになった。

それはまるで下界を見下ろしているような眺めであった。そのようなつくりの効果もあってかスカイボックスの年間パスポートは瞬く間に完売した。

しかもそれは、球場の残りの全座席の年間利用額をはるかに上回っており、球場経営を潤した。

新シーズンを迎え、アイオーンズは破竹の勢いで連勝を重ねた。万年最下位を争うアイオーンズは研究されていないこともあり、対戦相手のチームは油断していたこともある。

しかし、その力は本物だった。

なんとレギュラーシーズンを優勝したのだ。

「わたしとファンの想いは帰結されたのだ」

そう思っていた。

しかし、そうではなかった。

破竹の勢いで連勝を重ねたシーズン序盤こそ良かったが、次第にこの町のアイオーンズファンは減っていった。球場内のおびただしい広告は、ベースボールを見に来ているのか広告を見に来ているのかわからないような感じになっていた。

そして決定的だったのは、今まで選手たちは気軽に球場に来た子どもたちと写真撮影をしサインをした。そのスキンシップによってファンは身近に選手を感じ強い絆が生まれていた。それを禁止してしまい選手とファン双方に壁を設けてしまった。

つまりわたしは、その絆を商業利益のために切り離し販売してしまったのだ。

そして、富裕層はガラス張りのスカイボックスからベースボール観戦と同時に、一般市民とは自分たちは違うのだという優越感を感じるためにそこの席を買っていた。

つまり、彼らは球場にベースボールを観戦する他に、球場にベースボールを観戦しにきている市民を見下ろすために来てもいたのだ。

ここにもわたしの意志に反して、透明な高い壁を作ってしまった。

球団の収益は過去にないほど潤沢になり良好だ。しかし、同時にベースボールへの熱い想いを代価にし、ビジネスとしての球団経営者となってしまった。

今考えれば、本末転倒だった。

わたしの理想とするベースボールチームは、市民が地域に誇りをもって結束し、満員の球場で貧富の差もなく混沌として笑いあえるものであった。

球場の名前を地域の名前とするのは、そのチームがその地域の代表という誇りも含んでいる。それが、地域の名前ではなく企業の名前になってしまえば、もはや地域の代表ではなくなり、その地域の人にとっての愛着は薄れてしまうのだ。

そのようなこともわからず命名権として、わたしは大事な名前を売りに出してしまったのだ。

つまり、たったの年間5億円で市民の信頼を売りに出したのだ。

気がついたときには、なにもかもが後の祭りだった。

失ってしまった地域の信頼はもうない。あとは気持ちを切り替え自由市場主義者として儲けることだけを考えるしかない。強いチームは地域を失っても強さによって一定の人気は得られる。

ラットのようにひたすら漕ぎ続け、より多くの収益を上げ、自分のしていることを正当化するしか手段はない。

「お金とはなんだろうか」

わたしは、ふと口に出していた。

望んだものはお金で手に入れることはできた。しかし、同時に別の何かを失ってしまった。目に見えないものの多くは塵のような僅かなものを堆積して構成されている。だがそれらは、目には見えないがゆえに軽視されやすい。

しかし、それらがわたしたちを窮地から幾度も救っている事実を目の当たりにしているはずだ。可視化されることのないこの資産はなんと呼べばよいのだろうか。

わたしは自問自答したが答えは出なかった。


親愛なる君へ

「あなたはわたしのように間違った選択をしないことを切に祈る」

ベン・ルドウィックより

おわり


最後まで読んでいただきありがとうございます。

aicoさん画像を使用させていただきました。

毎週金曜日に1話ずつ記事を書き続けていきますのでよろしくお願いします。
no.81 2021.8.27

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