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#69 金持ちはなぜアートを欲しがるのか?


2018年10月5日。

ロンドンのオークションハウス「サザビーズ」で、ストリートアートで世界的に有名なバンクシーの絵「風船と少女」が、2人の電話入札者の競争の末、事前予想の3倍に当たる104万2000ポンド(約1億5500万円)で落札された。

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引用:ポスターバンクシーBalloon Girl

しかし、オークションで落札が決定するのと同時に、会場にアラーム音が鳴り響いた。額縁に仕込まれていたシュレッダーが自動的に起動し、「風船と少女」の下半分がズタズタに裁断された。

バンクシーはオークションに否定的なことで知られている。彼自身が壁面に絵を描くストリートアーティストということもあるが

「ストリートアートは最初の場所で販売用に描かれてない限り、誰も売り買いしないように忠告したい」とニューヨークタイムズに話していた。


では、アートとはなんだろうか。

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それにはまず美術の歴史を遡るのが懸命だ。

まずは原始美術から始まり、メソポタミア美術、エジプト美術、ギリシャ美術、ローマ美術、キリスト教美術、ビザンティン美術、ゴシック美術、ルネサンス美術、バロック美術、ロココ美術、新古典主義、ロマン主義、写実主義、印象派、象徴主義、表現主義、シュルレアリスム、キュビズム、そして印象表現主義につながる。

アート(美術)は民族の壁画から始まり、文明が栄えると共に現れ、貴族や宗教によって普及された。その背景にあるのは歴史的な文明や権威の象徴であったりと、時代に強く影響を受けてきた。

逆説的にいえば文化を持たない国はアートが普及することもない。つまり、アートは一種の文化の象徴、または歴史の断片ともいえる。

また、今までのアート(キュピズムまで)と、印象表現主義以降のアートは毛色が若干異なるとわたしは感じています。(あくまで私的です)

アートの在り方が変化する


第二次世界大戦で本土が傷つかなかったアメリカは覇権国への道を進むことになるのだが、覇権国にふさわしい文化をアメリカは持ち合わせてはいなかった。(第二次世界大戦でヨーロッパは疲弊し、それまで覇権国だったイギリスはその地位をアメリカに明け渡す)

そこでアメリカは、当時アートの中心だったヨーロッパに対抗して、現代アート(印象表現主義)を生み出すことにした。

第二期ニューディール政策の一環で、連邦美術計画という失業芸術家支援が公共事業で行われる。つまり国家が介入しアートを生み出そうとしたのだ。

そこでは5000人~1万人が雇用され、20万点ものさまざまなポスター・壁画・絵画・彫刻が作成された。それらの作品は公共機関や学校や病院などに飾られ、2000以上のビルの壁面を覆い、パブリックアートが誕生した

この計画で支援された芸術家のなかには、ジャクソン・ポロック、マーク・ロスコ、ウィレム・デ・クーニングなど、のちに有名になる作家が含まれていた。

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パブリックアート(public art)とは、美術館やギャラリー以外の広場や道路や公園など公共的な空間(パブリックスペース)に設置される芸術作品を指す。設置される空間の環境的特性や周辺との関係性において、空間の魅力を高める役割をになう、公共空間を構成する一つの要素と位置づけされる。記念碑的なものより、象徴的なもの、コンセプチュアルなもの、建築の壁画、音、風、光などを利用したものも含まれる。

引用:Wikipedia

この政策の効果もあり、多くの美術作家は生活を維持しながら創作に励めるようになり、ヨーロッパからも美術作家がアメリカに入ってくるようになった。そして、戦後のアメリカ美術は芽吹き、ヨーロッパ美術の影響をから脱出し、抽象表現主義などの作家が生まれることになる。

その後、冷戦時代にソ連のフルチョフ第一書記が訪米した際、ある抽象画展覧会を観て「まるでロバの尻尾で描いたような絵だ」と酷評し、”ロバの尻尾”事件(1962年)が起きる。

フルチョフはアメリカを侮辱するつもりで言ったようだが、逆に共産主義者には抽象画を理解できないと、印象を与えてしまった。これを契機にアメリカで生まれた抽象表現主義を、アメリカ文化として世界にアピールする戦略にでる。

これまでアートはヨーロッパ主体であったが、抽象表現主義を現代アートとしてアメリカがアートの分野も牽引することで、世界の覇権の一翼を担わせようとした。

また、現代アートを主導したのが、第二次世界大戦の最中にアメリカに亡命してきた大勢のユダヤ系アーティストたちだった。そのことにより、抽象表現主義が生まれたという説もある。

彼らのユダヤ教は偶像崇拝が禁止されている。そのため、神のような存在を人のように描いたり、仏像のように彫ったりすることはできない。そのようにして抽象的に表現するようになったといわれる。

逆にヨーロッパではキリスト教の教会に飾る壁画などのニーズがあり具象が発達した。大聖堂の壁画などは現在でも多くの人の目を楽しませている。

アメリカには、ヨーロッパとは違うアプローチの芸術にニーズがあり、それをユダヤ系アーティストが応えたともいえる。

しかしここでアートは変化をすることになる。

これまでアートは教会の壁画や貴族の権威の象徴など、限られた者たちがアーティストに制作を依頼することで成立していた。(お金持ちの特権的世界)そこには、キリスト教やイスラム教の影響もあり、アートはお金と一定の距離を置いていたためだ。

キリスト教やイスラム教では、原則的に利子を認めていない。つまり、カネからカネを生むことは、汗をかかずに得た利益であり、道徳的に卑しい行為にあたる。

例えば画家に一枚絵を描かせ、それを画家に支払った額以上のお金で売ることは卑しい行為になる。そこでは、カネがカネを生むことになるからだ。

しかし、ユダヤ教にはそのような宗教的制約がないために、金融業などに進出するようになる。アートもこれにならい市場のメカニズムを導入し、大衆を含めた市場の拡大を目指すことになった。

そこで時代の波に乗ったのがアンディ・ウォーホルである。

キャンベルスープ缶の作品は、アートが好きではない人も一度は見聞きしたことがあるのではないだろうか。

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絵:アンディ・ウォーホル 「キャンベルスープの缶」(1962年)

引用:アートペディア

ヴァルター・ベンジャミンが「複製技術時代の芸術」という本を書いたように、シルクスクリーンのように複製印刷されたものにも、価値を生むようにしていく。雑誌のように何枚も印刷され作者のサインとロットナンバーが印字され価値あるものが複製される。

こうして特権的世界のアートが、商業アートとして大衆にも広がるようになった。

アートの需要は、他の財と異なった性質を持っている。ステイタス性だけでなく、お金があっても数に限りがあるため、買うことができないという特徴がある。

また、高級車のようなものは買った額が必ずしも維持されるわけでなく一般的には価値は減少する。しかし、アートは価値の変動はあれど価値が暴落することは稀で上昇する傾向がある。

そのため、いつしかアートは「色のついた株券」のようになってしまい、所有している人は本当にその価値に惚れ所有しているのか、投機目的に所有しているのか曖昧になってしまった。

例えばあなたが大金持ちで10憶の大金を所持しているとする。バックに詰めてどこかの街に早急に移動しなくてはならない。その場合、約100キロのバックを抱えて移動しなくてはならない。(現実的にはあり得ないが)

だが10億円価値の絵画を所有しているなら容易だ。わずか数百グラムの絵画は容易く持ち運べる。

また、ソブリンマネーが信用を落とし、国の紙幣が紙切れ同然になっていても心配はない。亡命先で絵画を売却すれば同価値の金額に換金できるだろう。

ソブリンマネー:国家が発行する貨幣のこと

つまり、アートはプライベートマネーの役割を担うようになってしまったのだ。ビットコインなどの仮想通貨もあるが、変動が大きく安定的ではない。しかし、ワインも同じだが一定の評価を受けるアートは、価格が安定していて代替紙幣として便利なのだ。

その結果、お金持ちはアートが好きかはともかく所有することを選択するのだ。昔はお金持ちがパトロンとして才能あるアーティストを支援することで芸術に貢献してきたが、昨今ではアートが市場の影響を受け、純粋な創作活動ではなく、工場のように人を使い生産し、名前を利用して売るような商業ビジネスの側面もぬぐいきれなくなった。

アメリカは、良くも悪くも今日のアートを変えてしまったのである。

アートとは

「表現者、若しくは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動のこと」

だと、わたしは考えています。

わたしの好きなアートがなくならないことを祈ります。


おわり


参考文献「なぜ私たちは未来をこれほど不安に感じるのか? 松村嘉浩著」

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himeさん画像を使用させて頂きました。

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no.69 2021.6.4


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