図書室の読者と主人公

 余計な音を拒んだ場所。薄暗く落とされた照明。少し肌に冷たい空調。
 そして、古臭い紙の匂い。
 辺りは人の気配より、本の存在感の方が、圧倒的に勝っていた。
 それらは固定の主を持たず、ここを訪れた生徒たちに次々と手に取られては、またここに戻ってくる。
 ここは、公立にしては蔵書の多いことで有名な、中学校の図書室だ。
 狭い足場を囲む、整頓された本の壁。
 見慣れた景色。嗅ぎ慣れた匂い。外から聞こえてくる聞き慣れた誰かの喧騒。広く誂えられたた大きな教室なのに、利用者が少ないのも、いつものこと。落ち着く、場所。
 なのにわたしの視界には、本以外のものが映りこんでいた。
「ねえ、きいてる?」
 本は、さまざまな事柄を内包している。フィクション、ノンフィクション。幻想、現実。この世、あの世。夢、現……。
 これは、……夢かな?
 本が好きなあまり、夢の中でも図書室の夢をみてしまっているのか。
「ちょっと……、」
 本は、さまざまな事柄を内包している。ただし--
 本は語るが話さない。
「ねえ……、」
 読者にそっと寄り添ってはくれるが、自ら歩み寄ってきたりしない。そもそも本に足などない。
「固まっちゃってんの?」
 紙の臭いはすれど、こんな人臭い、シャンプーの匂いとかはしない。
「……おもしろいね。」
 もっと、落ち着くものだ。
 けど、
「なっ、なんなのっ?」
 本を読んで、ハラハラドキドキすることは、常にあり得る。
 わたしはひとまず、距離の近くなった相手の男の子から遠ざかる。
「なにって?だから言ったじゃん。
 君が図書室の利用者だなんて思わなかった。意外だよ。とても興味深い。君のことがもっと知りたい……
 だから、」
 わたしだって、ここにわたし以外いるとは思わなかったし。しかもそれが、クラスメイトだなんて。まさかだよ。
 でも、それよりこの人がさっき言ったのは、
「君のことが好きだ。俺の主人公になってください。」
 繰り返して言われたからって、わかんないものはわかんない。
「は、はあ?」
「俺の言ってることが、わからないわけじゃないだろう?」
「いや、わかんないから……。」
 わたしがそう言ったら、きょとんとしてる。
 いや、なんでよ。
「小説とかの、物語の本を読むとき、登場人物のことが気になるだろう?特に主人公のこととなれば特別。主人公のことは、なんでも知りたい。いつなんどきでも、何処にいて誰といて何をして何を思っているのか、全部知りたい。読者としては、そう思って当然じゃないか?だからページを捲る手が止まらない。もっと知りたくなる。
 君は、資料や学術書だけでなく、物語の本も数多く読んでいるだろう。君なら、わかると思ったんだが……。」
 きょとん顔が、納得いかない顔になってる。
「俺は君が好きだ。興味がある。
 だから俺は、君の読者になりたい。」
 っていうか、そういうことか。
「それなら、わかる、かも……。っつーか、説明省きすぎだし。って……
 なんでアタシが本好きって知ってんだよっ」
「君がここで俺を見たのは初めてかもしれないが、俺はそうじゃないから。」
「っな!」
「黙っててほしいんだろ?」
 こいつ……。
「なんだよ、まるでアタシのことわかってるみたいに……」
 すると、肩をすくめて、言った。
「すでに君のあらすじは読ませてもらったからな。」
 ほんとに、概要は知られてるって……?
「君は他の生徒と同じように、本なんかよりテレビやゲームが好きで、読むとしてもネット小説。そんな外面を持つ、中学生の女の子だ。けれどその実、紙の本が大好きで、小説や図鑑、地図にさえ興味を示す、熱心な読書家だ。こんなに充実した施設なのに、利用者が少ないことを勿体なく感じているものの、自分の本好きを隠したいため、人気のないこの図書室に居心地の良さを感じ、存分に利用している。」
 違うか?なんて、首を傾げている。
 ほんとに、目の前のこの人は、もう既にわたしの読者のようだ。
「その顔は肯定ととるぞ。」
「……」
 こいつ……。
「まあつまりさ……、」
 今まで、語り部のように淡々と話していたその読者だったが、真っ直ぐ私に向けていた視線を床に落とし、歯切れ悪くそう切り出した。
「今流行りのギャップってやつに、俺もやられちゃったわけだ。」
 流行には流されない質なんだけどなあ~、なんてぼやいてる目の前の読者は、どうやらわたしという主人公に惹かれたことを話していて、しかも照れているらしい。
 この人こんな顔するんだ。
 クラスでは、大人しい存在、というのは聞こえのいい言い方で、つまりは地味で目立たなくて無口で愛想がなくて根暗でボッチで何を考えているのかわからないキモイ奴、ということだ。
 で、いつも本を読んでいた。
 そこが余計に、みんなにいじられる要因だったわけだが、わたしはちょっとだけ羨ましかった。
 もちろんボッチもイジメもやだ。すっごくやだ。
 けど、教室で堂々と本を読んでいられるのが、うらやましかった。
 放課後、他の子たちを誤魔化して、独りでこっそり図書室を利用している自分が、ちょっとだけみじめに感じてた。
 クラスではみんなと一緒になって、悪ぶったりちょいキレてみたり、この人のこと馬鹿にしてるわたしだけど、そんなのやってる方が馬鹿じゃんってほんとは思ってる。
 ほんとはラノベの美少女ヒロインみたいに苛められてる主人公を颯爽と助けたい。いいとこ取りのライバルキャラみたいに主人公に貸作りたい。弱くて馬鹿で、それを自分でもわかってる、なのにチートボスに立ち向かっていく、いつもはヘタレだけどいざとなったら自分を顧みず必死になる、主人公みたいに、誰かを守りたい。
 ほんとはいつも、そう思ってる。
 でも所詮、わたしは思ってるだけのモブキャラ。
 思ってるだけで何もしない弱いわたしを、周りに合わせて勝ち組気取ってるアタシで隠してる。
 どこをどう見てもモブキャラで、主人公になんてなれっこない。
「だけど俺は、君の主人公ぶりから、目が離せない。」
 なのにそんなわたしを、主人公にしたい、なんて、変だと思うけど。
「物語を、もっと主人公の傍で読みたいんだ。」
 この人の中ではもう、わたしは主人公として、物語を動かしてしまっているらしい。
「何度でも言うよ。」
 物語の舞台は、誰もいない広い図書室。
 物語の鍵を握っているのは――
「俺の、主人公になってください。」
 変な読者さん。
 語り部のような無機質さを感じていたが、今はもう違って見えた。
 本を読んで主人公の一挙一動を追う眼差しは、雄弁にハラハラドキドキを物語っている。
 わたしの目の前には、物語の続きを待望する読者の姿があった。
 その時図書室に、再び静寂が訪れた。
 読者の静かな息遣い、手に取った物語の、ページを向くる手は、今は止められている。
 余計な音を拒んだ場所。薄暗く落とされた照明。少し肌に冷たい空調。
 そして、古臭い紙の匂い。
 ここでは人の気配より、本の存在感の方が、圧倒的に優っている。
 それらは固定の主を持たず、ここを訪れた生徒たちに次々と手に取られては、またここに戻ってくる。
 この読者が選んだ物語は、この先主人公がどう活躍するのだろう。
 それは他人事な感想だった。
 でも、
「主人公は読者の意表を突くものだと、わたしは思う、から。」
 そう言ったら、目の前の読者は、さっそく驚いた顔をした。それから、やっぱり好きだ。って言って、満足そうに笑った。
 この読者は、どっちかというとヒロインみたいだと、わたしは思う。

#小説 #オリジナル #創作

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