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【過去から学び未来を創る♬第三章】

【過去から学び未来を創る♬第三章】
~温鼓知新という生き方♬~

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いよいよ第三章へと
物語りは進んでいきます。


第三章 「覚悟と確信、託された想い」

愛知の師匠・永谷さんは、当時82歳でしたがとてもお元気な方でした。

手だけではなく、足まで使って、
それはそれは器用に桶を仕上げていくのです。

こういう「知恵」こそ後世に残さなければならない
伝統だと確信しました。

そんな師匠に習いながら、なんとか一台、
自分で桶を作りあげることができました。

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秋田の五十嵐さんは
またお体を悪くされて、入退院を繰り返しておられるとのこと。

お客様からの発注も滞っていましたし、あとは自分の力でやるしかない。

それ以外の選択肢はありません。
ただひたすらに。

作業ひとつひとつに神経をゆき渡らせて。
桶作りの経験も、知識も技術も何もない私でしたが、

愛知の師匠の元で修業を積み重ねれば、
必ずや自分たちが目指す「音」へのゴールにたどり着けると確信しました。

その確信が、私を突き動かしたのです。

そして五十嵐さんに再びお会いできる気持ちが整った、
その矢先のことでした。

2016年9月。一本の電話が鳴りました。
 
五十嵐さんが亡くなりました。


奥様からの訃報に、ただただ私は電話を握りしめたまま
茫然と立ち尽くすだけでした。


五十嵐さんは長くガンを患っておられ、
私が訪ねた頃にはすでに体調がかなり悪化していたのです。

奥様の涙声を、私は一言一句聞きました。
「お父さん、三浦さんが会いにきてくれたのを
とても喜んでいたんです。

そして三浦さんなら自分の思いをわかってくれるに
違いないとも言っていました。

だから……、

本当は三浦さんに桶太鼓作りを教えたかったんです。

でもここ一年はガンも進行していて、
体が言うことを聞かなくて。

とても教えられる状態ではなく、断腸の思いで諦めたんです。

それで、あんなふうに手紙を書いて、
お断りをしてしまったんです。

そのことをずっと悔やんでいました。

そしてお父さんは、最期の最期まで、
手を止めることはありませんでした……」
 

知らなかった。


五十嵐さんのご病気も、本当のお気持ちも、
何も知りませんでした。

私は予定を調整し、
何かに急き立てられるように秋田を尋ねました。

一年ぶりに訪れる地。

こんな形で来るはずではありませんでした。
秋田杉の香り漂う工房は一年前のまま。

作りかけの桶も、なじみの道具も材料もそのままです。

2019年10月21 秋田原木3回目_191023_0047


ただ五十嵐さんだけがいない。
なんだか心に穴が空いたような心地でした。

私が最後に発注した桶の注文票が、
壁にひらひらと悲しく揺れていました。

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私は、このとき初めて、
自分が愛知で桶作りを学んでいることを奥様に伝えました。

そしてこれまでのお礼も。

今の私があるのも、五十嵐さんのようになりたいと思ったから。

本当は直接、五十嵐さんにも伝えたかったのに。

そう思うと、とめどなく涙があふれ、
どれほど悔やんでも悔やみきれませんでした。


月日が流れたある日、奥様からお手紙をいただきました。
今でも後悔と悲しみの中にいることが、文面からひしひしと伝わりました。

しかし、そんなお手紙の最後は、
思いもよらない言葉で締めくくられていたのです。

「三浦さん、もしよろしければ、お父さんの道具や材料を使って、
桶作りをしてみませんか?お父さんも喜ぶと思います」

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五十嵐さんの思いの詰まったものを
使わせていただけるなんて、いいのだろうか?と、

嬉しさと戸惑いで頭の中はいっぱい。
なぜなら、職人にとって道具は命と一緒だからです。

私自身もそれは十分承知しています。


それでも、五十嵐さんの魂を後世に伝えるために、
五十嵐さんの思いを伝え続けるためには、

それが一番いいのかもしれない。

そう思った私は、改めて秋田へ出向き、
工房にあった道具と材料をお借りしながら、

五十嵐さん亡き後の工房で奥様に桶作りを
教えていただくことにしたのです。

憧れの人の工房で、今自分が桶を作っている。
なんだか不思議な気持ちでした。

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五十嵐さんの気配を感じながら、私は一心不乱に腕を磨きました。

いよいよ愛知へ戻る日、奥様のご厚意で
五十嵐さんの道具をいくつか譲っていただけることになりました。

「すみません。ありがとうございます。大切に使わせていただきます」

「三浦さん、それだけでいいのですか?
あるだけお持ちくださっていいんですよ」

「はい、同じ道具が2つあるものの、
その片割れをいただいていくことにします。

あれもこれもお借りしてしまうと、
五十嵐さんが天国で桶作りができなくなってしまうから……」

このときいただいた貴重な道具は、
今でも私の桶作りを支えてくれています。

何物にも代えがたい一生の宝物です。

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五十嵐さんから直接教えてもらう夢は叶いませんでしたが、
言葉ではなく”心“で、たくさんの事を教えていただきました。

五十嵐さんのご仏前には、今もこんな言葉が飾られています。

”修得した技術を 広く役立ててほしい
皆様との出会いに 感謝を込めて 大空からありがとう“

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職人の”技“は、世の中の人の役に立つ為にあること。

お金儲けのためでも、自分のためでもない、
世の為、人の為にあるということ。

私もその思いをしっかりと受け継ぎ、未来に伝えていきます。

五十嵐さんのように、
人の心に届く「生きた音」をつくり出せるようになるまで。


五十嵐さんに最大限の感謝を込めて。
ありがとうございます。

2019年10月21 秋田原木3回目_191023_0019


第三章終わり。

つづきは第四章へ

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人生の別れとは
経てして突然やってくる。

それは何の予告もなく
突然私の前にあらわれた現実でした。

「永遠」であって欲しいと願うけど

それは叶いません。

姿カタチあるモノ全ては
いずれは尽きてしまうのです。

でも、
「カタチ」は失ってしまっても、

人の「心」、「想い」は
誰にも奪われることはありません。

だから、こそ
私は今日も五十嵐さんから教えてもらった

「本物」の想いを大切に
太鼓作りに向き合っています。

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