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自宅の玄関は自分で雪かきするしかない

 季節外れの言葉がですが、この一連のツイートを見て感じたことがあったので筆を取りました。私の物書きのスタンスは「自分の読みたいことを自分で書く」という話です。なお元ツイートの趣旨とは少しズレているかもですがご容赦ください。

「雪かき」と「物書き」

ここ数年、実家に帰ると道路脇に雪が溜まってることに気づく。
市の除雪予算が減って、除雪の頻度が落ちてるらしい。
だから近所の町内会のおじさんがボランティアで除雪してくれるのがありがたい。

 村上春樹は文章を書くことを「文化的雪かき」と喩えたそうだ。雪がかかれてなくてもちょっと歩きにくいなと感じるくらいで、誰かがやってくれててもやってくれたんだね、くらいで終わる。そんな「雪かき」と「物書き」はたしかに似てる
 他人のマッチレビューを読んでる時、こんな感覚に近い。気になることはあるけど、まあ別に放っておいてもいっかくらい疑問が積もってる時、それを解消してくれるレビューがあると嬉しい。けど無くてもそんな悲しくない。
 それと誰かがやってくれてるから自分は書かなくてもいいや、って気にもなる。その人の読めば8割くらいの疑問は解消された気になる。わざわざ自分が汗をかく必要はない。けど実は片隅にモヤモヤは残ってたりする。

自分が読みたいことは自分で書くしかない

大学から上京してきたが、都会の雪なんて大したことないと思ってた。
ところが雪の日、友達が積雪のせいで家のドアが開かなくなったと呟いていた。アパートの角部屋だったのが仇となったか。

 いま文章書いてる理由はこんな感じだ。つまり、雪=自分が気になること、読みたいことが積もりすぎてるのだ。しかも残念なことにそれらは自分にしか害がない。だから自分で雪かきするしかない。
 自分がマッチレビュー書き始めたのもそのためだった。それまではある人のレビューだけをひたすら読んでいたが、いつしかその人が書いてることと、自分が読みたいことが離れていた。満足出来なくなっていた。自分の家の前に積もった雪は、自分でかかなきゃいけないのだ。

 自分はそんなスタンスで物を書いている。だからただ読みたいことを書いている。極論読まれなくても気にしない。
 けどついでにお隣さんの雪もかくように、1人くらいには自分が書いた文章が届いてたら良いなと思う。隣の人が積雪で困ってる時、助けられていたら嬉しいな。

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