愛を受けて授かったこの命とこの体
先日、生まれて初めて母に”土下座”をしました。
理由はいたってシンプル。
母の外出中にこっそりオーバードーズ(OD)をしてしまったからです。
その日の正午過ぎに1人で家にいて、自分に対する破滅衝動が抑えられず、
家にあった余りの薬を30から40錠程、まとめて飲んでしまいました。
僕の目的は、「死にたい」ではなくて、数時間何も考えなくて済むように、
一時的に意識を失いたかったのです。
過去には、自死目的で200錠くらい飲んでも病院にこそ連れていかれたものの生きていたので、
今回の数ではまず死なないだろうし、意識が飛んでも数時間程度だろうと踏んでいました。
実際その通りになり、目を覚ましたのが23時半。
その後はほとんど眠れませんでしたが、少しだけ眠り、目をまた覚まします。
リビングに行くと、母がこちらに背を向けたまま仁王立ちしています。
「おはようございます」
声を掛けても反応がありません。
僕が母の真横に立って、顔を覗き込むと、ひどく怒った形相で
僕の両肩を掴み、「なんしようと。薬飲んだやろ。なんなん!」
特にまずかったのが、僕は持病の不整脈の薬も多く飲んでいたのです。
母「不整脈の薬は心臓の薬やろ!二度と起きんやったらどうするとよ!」
母は、両目にいっぱいの涙を溜めながら続けます。
「ひろきにその気は無くても、何が起きるかわからんやろ」
「たたでさえ不整脈に加えて、脳も手術しとるやん。日常的に精神科の薬も飲んどるやん。たばこも吸うやん。お酒も飲むやん。体壊してからじゃ遅いやん」
母の言う通りです。
そもそもオーバードーズという行為自体間違っているのに、
誰かを悲しませてまでする必要のある事ではなかったと思います。
母は「ごめんなさい」と呟いた僕を一瞥(いちべつ)した後、
キッチンのシンクの前で腕を組み、その後は目を合わせてはくれませんでした。
そしてこの時、冒頭に書いた土下座を僕はしました。
当然、許してもらえるはずもありません。何度も謝罪の意を述べました。
その後、母は受け入れた様子ではありませんでしたが、姉が起きてきたため、
姉が仕事に向かう準備を姉と始めました。
黙ってその場に立っているのも忍びなかったので、僕は部屋に引き返します。
その後、母が少しずつ距離を縮めてきてくれて、翌日の夜、部屋で二人で色々と話をしました。
腕に根性焼きもまた数か所してしまったので、そのことについても諭されました。
両親から授かったこの体。
簡単に傷をつけていいものではありません。
自らのお腹を痛めて、命懸けで産んだ息子がその体を自身の手で痛めつけている。
母からすれば身を裂かれるような悲痛な思いだったのだろうと、馬鹿な僕はようやく自分からそのことを分かろうとできました。
これからはもうそんなことはしない、薬を飲みたいなら頓服(とんぷく)の中で、処方されている一日の最大の数まで。
そう約束しました。
作家を目指す夢については、止められませんでした。
「ずっと暗い所にいたけど、やっとやりたい夢ができたんやろ?なら、納得できるところまで追いかけてもいいんやない?ただ、お金は自分でなんとかしてね笑」
とことん僕は、不幸な目にも散々あってきたけれど、それ以上に自分を取り巻く周りの環境と人には幸せなほど恵まれているのだと、笑いながら話す母の顔を見て痛感致しました。
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